2009年2月5日木曜日

書籍巡り(1月末~2月初)

いつものごとく本屋巡りをする。最近結構、文庫本でいいのが出ている気がするのだが、気のせいか。立ち読み、購入、色々選り好みしながら読んだ。

新潮文庫のラインナップがどうも気に食わない近頃であったのだが、今月の新刊は、久々の個人的ヒットだ。

『映画「黒部の太陽」全記録』:熊井啓 ・・・ わが居住区ものであり、自然と興味がいく。石原裕次郎さんの映画は見たことがないのだが、その映画の舞台裏を監督が明かした作品だ。

黒部ダムの建設を巡っては、種々のドキュメント番組も作られているし、隧道工事に従事した人たちの壮絶な記録は、読んでいて震える。吉村昭さんの『高熱隧道』(新潮文庫)を読んでいたので、だいたいのことはわかったつもりになっているのだが、このトピックは目が留まる。多くの危険作業従事者の犠牲のもとに、今の黒部ダムがあるのだが、どうもこの手のトピックは、建設会社の現場監督からの視点が多い気がするのが不満だ。だが、読むべき作品だと思う。購入候補に入ったのだが、もうしばしは書棚にあるだろうとの読みの元、後回しにする。でもいつか買う。

『狂人三歩手前』:中島義道 ・・・ 大好きな中島氏の新作。これだけで今月の新潮文庫は当たりだ。いつも思うのだが、元々低価格気味の新潮社においても、中島氏の著作は価格設定が低すぎないか?と思う。362円って、著者の意向なのだろうか?迷わず購入。

中島氏に関しては、『私の嫌いな10の言葉』、『カイン』、『うるさい日本の私』等々、ほぼ全著作を読んだのだが、反応ポイント、哲学的思考のベクトルが、個人的に同じような気がして(そういう気になっているだけなのだが)、読んでいて興奮する。また、この方の著作には適切な引用が多いので、他の名著へのきっかけとなることも多い。

『残虐記』:桐野夏生 ・・・「今読みたい新潮文庫」といった帯につられて、個人的に失敗した経験は数多い。でもこの作品は、以前から候補にあったので、今回を機に購入を決意。桐野さんの著作は、ほぼ知らない。たぶんこの作品が、今後桐野さんを読むか読まないかの分かれ目になる、大事な作品になる気がする。

他の文庫を見る。中公文庫から『犬が星見た』武田百合子 さんの作品が出ていた。これは、だいぶ前に古本屋で立ち読みした記憶があるのだが、夫である武田泰淳さんの著作に触れる契機となった作品であり、読み返す必要を感じて、即買い! 

好きな幻冬舎文庫の棚に行って、立ち読み半ばになっていた、『闇の子供たち』:梁石日 を完読する。さすがに話題作だけあって、強烈で面白くてたまらないのだが、トピックを信じたくないほどの衝撃で、読んでいて気持ち悪くなった。梁さんの作品は結構読んだが、いつも、読み終わった後味は悪い。車谷長吉氏の作品と同じく、すごく読みたくて読むのだが、後味が悪い、不思議な作家だ。 永江氏の作品解説が、無難で面白くなかった。読み返すことはないと思ったので、立ち読みでようやく読み終える。

幻冬舎文庫の棚に、『ララピポ』:奥田英朗 が、やたらピックアップされている。映画化されるみたいで、カラーの帯がついている。

映画化される著作を読むことは、偏見から避けることが多いのだが、軽く立ち読みしたら、意外と面白いので購入。昨日買って昨日読み終わった。

奥田氏の作品は好きでもなく、安っぽい印象を持ちながらも、なぜか結構読んでいる。登場人物の関連付け、再登場の仕方といった、プロット構成に、プロ作家の技巧を感じるからだと思う。

『ララピポ』も典型的な、俺が思うところの奥田ワールドであったが、この作品は、なぜか心に沁みた。登場人物の設定に、高学歴低収入フリーライター、AVスカウトマン、デブ専AV熟女女優、といった、どうしようもなないジャンク感があるのだが、以外と奥深い作品だと思った。社会の最底辺で生きる人たちが、それぞれの立場で矜持と希望を持って生きている様は、多少、強引なプロットや、陳腐なセリフがあっても、社会の今を描写するという、大衆小説の心意気を感じた。背表紙に書かれていた、「下流文学の白眉」というコピーにしびれた。まさにそうだ。芸の細かい作家だと思う。

『ララピポ』が意外と面白かったので、続けて奥田氏の『ガール』を読む。立ち読み30分で完読したが、全く面白くなかった。そのわりに絶賛だ。わからない。一般的な女性心理と俺は対極にあるのだろう。

新書は相変わらず、時流に乗って一気に売らなければ存在価値のないような著作ばかり。いつから新書レベルは、かくも落ちたのだろうか? 個人的にそう思う。

ハード・カバーの新作にも結構興味を惹かれたのだが、貴重な図書カード、現金を費やしている場合ではない。誘惑を断ち切った。

文庫本で発表されている書籍だけとの関わりでも、網羅するには人生は短い。いつもながら、永遠の命を手に入れて、書籍に埋もれていきたいと思う。

海外文学邦訳もの、難解な書籍、時代劇もの、相変わらず手を出さない。自分にとって大切な、がっつりと、かじりついて格闘すべき本があるであろうに、気持ちは書籍に娯楽性と大衆好奇心を求めてしまう。結構、最近の書籍選びは、意思が弱い気がする。何だか満たされない部分がある。通過地点としての本屋があり、ジャンクな出会いを昇華できない未熟さも感じる。

「ジャンクション」という曲が頭に沸いた。さびまで詞も一気に出来た。浮かんだ発想の源は、日々のジャンクな書籍との出会いの賜物だ。これが深長でたまらないのだ。

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