2009年2月24日火曜日

ごあさんしたい思い出

未だに町のあちこちに、数は減ったというものの、そろばん塾がある。決して繁盛しているようには見えないのだが、平日の15時から17時までの間にその前を通れば、小学生の姿をそれなりに目にする。

塾経営の採算ベースで考えると、決して儲かっているとは思えない。塾長らしき人も、ほとんどが高齢の年金生活者みたいな人が多い。もしくは、そろばんと並行して、他教科の学習指導をしているところも多い。

計算という側面においては、そろばんなんかは本来の用途としては時代遅れで用済みなのかもしれない。計算機能が電卓にとって代わられて久しい。そして今では電卓自体も主流ではない。エクセルは自動計算してくれるし、レジスターはバーコードだ。あらゆる経済活動において、人間による計算自体が求められる局面は減った。ソフト、フォーマットの中での数字入力とスキャンで、ほとんどの作業が事足りる。

だが、そろばん需要があることを素晴らしいと思う。肯定している。

今まで多くの子供を見てきたが、テストの点数はもちろんのこと、会話においてのテンポよさ、反応のよさなどを含めて、頭の回転が速いと思う子が、そろばんを小学生時代に習っていた事例が多い。

テストの点数だけを見るならば、公文式を習っていた子も優秀だ。反復練習をさせる作業が今の教育に1番欠けていると思うので、それを原始的に補ってくれる公文式も俺は肯定している。

人によりけりで、あらゆる要因が習い事に帰せられるわけではないのだが、公文式の子には、①数字が汚い。②話を最後まで聞こうとしない子が多い。③ケアレスミスが多い という欠点も、実体験上感じる。もちろん、習い事以外の家庭教育において、①~③の欠点補強が済まされている子も多いのだが・・・。

そろばんを習っていた子には、上記3つの欠点が少ない気がする。速記でも数字が綺麗に書ける子が多いし、最後まで集中して話を聞く。テストでのケアレスミスも少ない。

きっと、「~円な~り、~円な~り」と、あの読み上げ算を通して、聞く力と集中力が養成されるのだと思う。「右脳開発」を今やそろばんの売り文句にしているが、「落ち着きある子に! 人の話を聞ける子に! そろばんがサポートします!」といった宣伝文句の方が、臨床的に適切な気がする。

そろばんに関しては、俺は苦い思い出がある。

小学4年生の時、俺の近所にそろばん塾があった。俺の親友を含め、俺の遊び友達はみんな、そこに通っていた。「遊びに来ていいよ」という誘いのもと、その塾に、今で言う「無料体験」をしにいったのだが、すごく楽しかった。

その一方で、子供心に、正規の塾生でない後ろめたさ、遠慮、疎外感もあった。補欠のような心境だった。

「何とか俺もこの空間にレギュラーとして入りたい。」そう思った俺は、おとんとおかんが居間にいる日曜の昼下がり、「そろばん習いたい!」と懇願した。

おとんは目を輝かせた。「お~、やる気になったか。その言葉待っていたぞ!」と言った。俺は期待した。ほぼ許可がおりたも同然だ! みんなの仲間入りできる! 期待で胸が高鳴った。体験でもらった入塾案内書類を見せるべく、子供部屋に立ち上がろうとした瞬間、俺の耳に信じられない言葉が入った。

「おとうさんが今日から毎日教えてやる!」

「うっそ~~~~~~~~ん。」 もともと、そろばんが習いたいわけではない。友達と同じ空間にいたかっただけだ。だが、そろばんに対する熱意であるかのように偽った数分前の自分の行動を、否定するわけにもいかない。俺は取り返しがつかない思いだった。

翌日には、新しいそろばんが用意されていた。俺の兄貴も巻き添えをくらった。週に3回、実に不愉快な時間を過ごした。俺は何か逃げる口実ばかり探していたが、おとうさん先生は、外での飲食も控え、毎晩早く帰ってくるようになった。

家庭そろばん塾が開かれて半年後には、個人申込みで、商工会議所に検定試験を受けに行った。4級、3級と2回受けて、楽勝合格したのだが、全く嬉しくなかった。日に日に不満が募り、1年くらいたったある日、俺はおやじに言った。

「正直、迷惑なんだよね~。もう、そろばんいいわ~。」と冷酷に意思表示した。小学5年の夏である。自我の目覚めであった気がする。

今から思えば、おとんの心情は複雑だったろう。キャッチボールをしても、小3の頃には俺の球を受けられなくなっていたし、顔を近づけてきたら、「ひげが痛い!」とびんたはされる。勉強も教えてもらわなくても、良く出来た。

そんなおとんにとって、そろばんを教えることは、父親の威厳を見せる絶好の機会だったのかもしれない。なんだかかわいそうな気がしてきた。全くおやじを尊敬していない、そろばんに価値を見出していない、すれまくっていた当時の息子を許してほしいと思う。

兄貴は、俺がそろばんを放棄した後も、おやじにつきあっていたみたいだ。兄貴のそろばんには俺のものにはないシールが、着々と増え続けていた記憶がある。

そろばんの計算システムを、全く忘れてしまったが、わが子が出来たら、そろばんに興味を示さないか試してみるつもりだ。もしろん、俺は教えない。習わせる。苦い思い出にはごあさんだ。

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