一部の方には伝えていたのだが、我が家で昨年10月末に待望の懐妊があった。ちょうど、緑内障の手術を終え、退院する前日の懐妊診断だった。バイオリズムは、俺の目の手術が底だったのだろう。神様は粋な計らいをなされると思った。
結婚13年目半ばで初の懐妊であり、お医者様からそれを告げられた時の喜びは尋常ではなかった。自分が今見ている、全ての色が、一瞬にして塗り替えられたかのような、新しいステージを発見したような興奮に包まれた。
何と形容していいかわからなかったので、俺はずっと、ムフフな心境として気持ちをぼかして、ブログでも書いていたのだが、ほんと、ムフフなのだ。
初めてわが子の写真を見たとき、たった3センチしかなかったのだが、その写真を見る度に泣けてきた。単なる嬉し泣きとも違うのだが、狂おしく愛しくてたまらなかった。
たった3センチ、しかもまだ胎内だというのに、大人に喜びと新しいステージをくれる、新しい生命の偉大さを思い知り、身震いすら覚えた。
ムフフな感情は、涙と希望と責任感を俺に与えてくれた。
でも、その後、無事に生まれてくれるか、長い10ヶ月の胎内生活を思うと、得体の知れない不安感にも包まれた。
毎回の定期検診は、我が家にとって、神様の裁きを受けるような気分だった。
だが、今のところ幸いにして、順調に発育してくれていて、今日は検診だったのだが、種々の検査結果も全て安心できるもので、鼓動も聞こえたらしい。胎内で万歳して寝ていた我が子の写真は、いまいち形が分かりにくいが、感動のメーターを吹っ切るのには十分だった。
予定日は7月25日だ。まだ5ヶ月もある。でも、これから後は、1つの新しい命が誕生を欲するか、欲しないか、我が子の生命力に敬意を表して、あまり過度な心配はしないでおこうと思う。何があっても運命として受け止められる心境に、今の俺はなりつつある。
40前の大人を教育してくれるのだから、胎内のわが子に感謝である。
懐妊に際して、そしてこれから来てくれるであろう出産、そして子育て・・・、新しい命に対して、つくづく男は無力だな~とも思った。
懐妊までが長くて、一般的には辛い苦悩もあったのかもしれないが、それを味わったからこそわかる境地もある。
今、こうして子供を授かった(まだ胎内だが)けれども、子供が出来なければ出来ないで、結婚していなければいないで、全ての立場を、肯定して受け入れられる境地になっている。
全てはやはり、運命なのであり、子供を授かる運命にあるならば、その立場で生きるし、出来なければ出来ないで、その立場で生きる。どの立場でも、それに意義を持って、他人を妬まず、羨ましがらず、自分の今に誇りを持って生きていけるような強さを、俺は結婚後13年間で培った気がする。
懐妊があったから言えるのかもしれないが、子供を授からなければ授からないだけの、素晴らしい生き方がある。
今俺は、授かった身、嫁を見ていて人間的に強くなったというか、たくましい側面を初めて見ている。俺もパパになる運命ならば、その立場として精進したい。
どんな事態が来ても、いつもムフフで、決してトホホにはなりたくないと思っている。
3 件のコメント:
おめでとうございます!
お~~~!!!
おめでとう!!!!
13年か。長かったけど待った甲斐があったな。
もちろんまだまだ不安定な生命やけど、君に似てない可愛いお子が産まれることを、切に願っております!
ムフフ。
>さいとうゆうじ氏
ありがとうございます。ずっと前からの念願がついに成就ですわ。
裁判員制度が始まることに関して、貴殿の見解を聞きたいな~と思っています。激務でお体壊さぬようにしてください。
>matoo氏
女子は父親に似るっていうしな~~、上手いこと変異してくれないと、落ち着き無い女の子は嫌やわ、俺も切に願うわ
ってこら~~! 俺は可愛いっちゅうねん。
可愛さ教えたろうか?? ム・フ・フ。
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