2009年2月1日日曜日

企業倫理

トヨタが3回目の下方修正で、数千億円の赤字見通しを発表した。異例中の異例であり、裾野の広い自動車業界のドンがこれだから、俺が思っている以上に、不景気感は深刻なのだろう。

下請けで1兆円規模の年商を誇る企業があるくらいだから、トヨタの販売不振が経済的に与える影響は、ちょっとした小国がふっとぶくらいの大きさがあるだろう。

ただ、トヨタはいい。毎年経常利益を兆円規模で叩きだしてきた会社だから、国債を発行し続ける日本国よりも財務状況は、まだまだ大丈夫だ。この販売不振が数年規模で続いても持ちこたえるだけの体力は余裕であるだろう。

だが下請けは、トヨタの風邪が1年続くだけでも、ずいぶん淘汰される運命になるだろう。トヨタなど自動車産業と関わりのある会社がない県は、おそらく日本にはないのではないかと思うので、全都道府県が、財政面、雇用面で影響を受けることになる。

38年生きてきて、不景気感も好景気感も抱いたことのない俺ではあるが、間違いなく不景気なのだろう。

この手のトピックは何度か書いたことがあるが、不景気を連呼する政府と大企業に対しての不満が依然消えない。

失業率、所得水準、企業決算、国税収入、判断する側の母体によって、色々な尺度はあるだろうが、こんなもの、単年ベースで見て、「不景気だ~不景気だ~」と垂れ流す国と大企業が、1番、不景気を作り出す作業に熱心なのではないか?という不信感がある。

現時点で職がある人と、ない人で不景気感が異なるが、以前にも書いたとおり、飢えることが困難な時代に、携帯電話を持って、パソコン持って、外食もして、趣味にも興じられる環境で不景気感を抱くのは、個人的には無理がある。

今、職を失った当事者や、求職中の人が「不景気だ」というのは、そういった人たち全員に同情したり、肯定したりはしたくはないが、言う資格はある。でも、大企業ともあろう立場の人たちが、「不景気だ~」と言ったところで、何一つプラス要素はない上に、自らの能力の無さを声高に叫んでいるだけに思えて仕方がない。


中小、零細企業が不景気感を抱くのと違って、天下のトヨタなどの大企業が、「不景気、不景気」と叫ぶのは、いかがなものかと思う。長期的なビジョンを標榜しているはずじゃないですか?と言いたくなる。

なぜなら、「不景気だ」と言うときには、首切り、減給が付随するが、景気がいい時には、その景気の良さに比例するだけの雇用確保と昇給がなされていたかといえば、そうではないと思う。

経常利益1兆円を上げました。それだけの利益が出るくらいなら、新車の価格下げたり、社員の給与をもっと上げたり、色んな還元の仕方があったはずだ。でもそうしなかったこと自体は否定しない。

なぜなら、経常利益を上げる目的は、売り上げが悪い時に備えての蓄えとしての意味を持つからだ。一般家庭が、ボーナスが多い時に、全部を使うのではなく、もしかの時に備えて貯蓄しておくのと同じだ。

でも、そうではないらしい。少し売り上げが落ちたら、大企業は下請けの工賃をカットし、自らの牙城は同じ状態を保つ。そして、さらに売り上げが悪くなれば、首切りだ。それも数年間持ちこたえて、蓄えがなくなりそうになってからではない。

ならば、好景気時に、多くの経常利益を出すことの意義はどこにあるのだろうか?言い方は悪いが、兆円規模の利益を出せる会社の、価格設定はぼったくりではなかったのかとさえ思う。企業努力でも何でもないと思う。経営者のエゴと虚栄心だけに魅せられた黒い数字への執着が産んだ利益だと思う。

政府や経済学者は、国民の預貯金に目をつけ、「不景気時にこそ、消費を刺激する政策が必要だ。たんす預金を使わせればよい。」と訳知り顔で言う。だが、そうだろうか? 国民の消費を刺激する前に、大企業が貯めこんだ、莫大な利益を吐き出させる政策が先ではないだろうかと思う。

それなのに、その大企業が「不景気」の言い訳を楯に、首切りやら賃金カットをするから、実際に不景気が蔓延する。当事者でない者まで、なんだか貧乏臭い気分になる。余剰金を吐き出さないまでも、「不景気」連呼の主導者となるのはやめて欲しい。

今、車が売れない原因を彼らは、世界的な金融危機だけのせいにしているが、そうではないと思う。壊れてもいないのに贅沢品として車を愛でて、乗り換える性質にあった国民が、ガソリン高を受けて乗り控えた結果、車というものに対して、単なる移動手段の乗り物としてだけの側面に気がついて、社会的地位や見栄えを優先した無駄な部分に気がついただけだと思う。

だから、車の販売不振は、世界景気が良くなったところで、エコへの配慮や、安全性に基づく需要以外の需要は生まれてこないと思う。少しの車マニアは依然として存在するだろうが、以前のような短い乗り換え期間に戻ることはないと思う。

ぜいたく品としての車がこれだけの市場を持てたこと自体が、バブルであったのだと思う。バブルを享受した人たちは、泡を残さず使い果たしてから、次のステップに進んで欲しい。それが企業倫理だと思う。

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