2009年2月10日火曜日

定番とスポット

お菓子好きの俺である。中でもポテトチップスの新味、季節限定物は、定期的にチェックする。最近は、カルビーの「しょうゆマヨ」味を贔屓にしている。

天下のカルビーのこと、新発売の商品は、やはり美味しい。大きく外さず、仮に不慣れな味であっても、またもう1度食べてみようという気にさせる。

だが、一時的に種々の新商品、色物に走ったとしても、ある時期が来たら、塩味、コンソメ味に戻りたくなる。

インスタントラーメン好きの俺である。結婚してからはあまり食べさせてもらえないのだが、それでも、小遣いで買ってでも食べる。コンビニでさえ、あらゆる種類の即席めんに目が眩む。新商品チョイスに悩み悩んで、優先順位を決め網羅する。

だが、一時期、新商品、色物に走ったとしても、ある時期が来たら、カップめんなら日清カップヌードル、シーフードヌードル、鍋で調理?するものならば、サッポロ1番の味噌か塩に戻る。

インスタントヤキソバならUFO,缶ビールならエビスか黒ラベル、蚊取り線香なら金鳥、マヨネーズはQP・・・、「定番」(個人的、一般的、多少のずれはあるが)に戻るサイクルがある。

この「定番」になり得る商品、素材、味覚・・・のすごさをいつも感じる。

コンビニの陳列棚を見ると、毎週のように新商品が大幅な売り場を占めるが、その多くは売り切りで短い命を終える。セミほど鳴ければよいが、鳴かず飛ばずで叩き売りの末路を辿る商品も多い。

アイテム数の多さでは、定番をはるかにしのぐスポット商品が、束になってかかっても、定番には定番の貫禄と、実数の需要がある。

この差は何なのだろうか? 

定番の中には、早いもの勝ちというか、人間の普遍的な嗜好を商品として1番早く供したからゆえに、帝王の位置を占めるものが多い。

芋には塩をかけるのが1番普遍的であったのだろう、その普遍性を乾燥芋に応用して商品化した、カルビーポテトチップスの塩が、やはり1番偉い。(最初という点で、湖池屋の方が早いのかどうかの考証は無視させていただく)。

しかし、所属するジャンルに後発ながら、いまや定番になった商品もある。ポテトチップスのコンソメ、日清カップヌードルのシーフードがこの部類に属する。

これらの後発商品は、発売段階においては、色物的要素があったはずだ。消費者にとっても、単なる一新商品に過ぎなかったはずである。

だが、これらの商品は、消費者の味覚の価値観を覆し、彼らに新たな味わいを提供して、後の定番となった。その過程で、消費者に対して創造と教育を施しながら、徐々に定番の冠を得るようにっている。

そして、後発組ながら、後に定番商品となる商品が初めて市場にお目見えしたときには、それは旋風を巻き起こす。時には世相を巻き込んだムーブメントとなり、市井に大きな風を吹かす。発売元にとっては、神風ともいうべき現象を巻き起こす。

俺は定番フォロワーである。また、定番にはなれないものの、隙間を細く長く埋める商品も好きである。そういった商品は、売り場は限定されるものの、慈しむ機会は持てる。

ところが、製造中止となってしまった商品に関しては、いくら自分が求めたところで、手に入らない事態が多い。

だから、食品以外に関しては、一部のコレクターによって、コレクターアイテムとして、高値でマニア売買されることもある。

そこで、ふと思ったのだが、音楽にある定番というものに対して、俺はどう関わっているのだろうか?

色んな筋の定番がいて、俺の好きな筋では、ビートルズ、ツェッペリン、ストーンズ、ニール・ヤング、ボブ・マーリー、J・Bがいる。

その一方で、これらの定番に対してたくさんのスポット商品(音源を商品として、陳腐に括った場合だ)がある。

音楽以外の商品に対しては、俺は定番のみでも満足出来るのだが、音楽に関しては、俺は定番以外のスポット商品に対して、異常な興奮と衝撃を受ける事例が多い。

俺の敬愛するミュージシャンが、商業的にはスポットで終わる事態は多い。
ところが、そのスポットの中に、とてつもなく好きな音楽が多い俺にしてみれば、定番になれなかった彼らの音源を手に入れて、それに触れることがたまらなく幸せである。

定番とスポット、両者の立場を分けるものは一体何なのだろうか、また、音楽だけは個人的に、どうしてかくもスポットに良さを感じるのだろうか?単なる好き嫌いの問題だろうか?

ふとした思案を定番の乱文に載せ、今日というスポットでアップする。思案は続く。

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