2009年2月24日火曜日

おくりびと2

「おくりびと」については、昨年9月30日にブログで書いた。
http://cheaphands.blogspot.com/2008/09/blog-post_30.html
オスカー受賞で大変な盛り上がりをみせている。

監督がわが住む町の出身ということもあり、全国報道だけでなく、新聞の地方欄、ローカルニュースでも大きく取り扱われていて、賑やかである。地方欄には、「~町出身」の文字が誇らしげに躍る。地方ニュースの報道でも、田中耕一さん以来と思えるフィーバーぶりだ。

監督の実家は、わが家から20分、職場から車で5分のところにあり、銭湯に行っても、ご近所さんが大声で会話して、絶賛している。

俺自身も、身近な所から、栄誉ある賞をとられた方がいることは嬉しい。

だが、「~出身」を強調したこの祝賀、絶賛ムードの背景には、栄誉ある賞をとられた才能ある方をだしにして、自らの育った背景である郷土、人物全般までをも美化してしまおうという、さもしい心理が見え隠れしている気がしてならない。

ヤンキーコミュニティーにおいて、「お前、Aさん(番長)知ってるか? 俺、あの人の舎弟っやちゅうねん! 同じB中出身やぞ!」といった会話がなされるが、この三下小僧の言うセリフの背景には、「俺はA番長の弟子やから、俺もすごいんやぞ! けんか売るような真似はするなよ!」という、虎の威を借る狐心理がある。

冷静に考えてみて、優秀な方が、わが住む町出身であるということは、道端で100円拾うのと同じくらいの、単なる偶然であるのに、ここまで大々的に、「~出身」ということを謳って賞賛すべきことか?と思う。

郷土愛は大切だと思う。「おくりびと」の監督が、わが住む町に対して郷土愛を持っていることは、素晴らしいことだと思う。誰にでもその人を育んだ土壌がある。

だが、郷土愛は、個人対郷土の1対1の関係であり、同じ土壌に住んでいる人間全員が同じものを共有できるほど、画一化したものではないと思う。同じ景色を見ても感じ方は、人それぞれである。同じく、人の性質も郷土がその大半を育むわけでもない。

もし北海道富良野を描いた「北の国から」の倉本氏の郷土愛が、富良野民全員に共通するものであるならば、富良野には純と蛍ばかりの純朴青少年がいることになる。邦衛がたくさんいても困る。

また、優れた人はどこで育っても、そこに郷土愛を感じていくだろうと思う。滝田監督がわが住む町出身でなくて、浜っこであったとしても、道産子であったとしても、昨日の栄誉みたいな賞は、過程は違えど受賞されていたと思う。

それを、「~出身」で祝賀するムードに、単なる郷土を愛する心とは違う、哀しい性みたいなものを感じた。

滝田監督は、以前、成人映画を撮っていたららしい。その時はもちろん、「~出身」なんて宣伝はおろか、むしろ、郷土がばれることを地元は恐れていたらしい。成人映画という額面だけを取り出してみたら、それも仕方ない心理だと思う。誰一人として、その時点では、今日のオスカー受賞監督を想像できなかったのだから・・・。

芥川氏による中国「杜子春伝」の日本版「杜子春」において、杜子春がお金を持つまでは誰も見向きをせず、お金持ちになったら、ちやほや集まりだし、身上を崩すとまた離れる、という群集心理構図とほぼ同じだ。お金が賞に代わっただけである。

滝田監督のオスカー受賞に際して、「成人映画を撮っていた時に、彼の才能を見抜けなかった俺達は、なんて眼力の弱い人間なんだろう。」と、嘆いたり、反省の念を抱く人は少ない。

結局は、「おくりびと」監督への賛辞は、ひとにおくるのではなくて、その背景となる賞や肩書きにおくっているのだ。受賞作のタイトルが意味深に思える。

人は何らかの集団に属している。そして1つの集団を内包する集団が幾重にも重なっていて、人は多くの集団に帰属している。避けられない運命だ。

家庭、学校、職場、居住市町村、国籍を排しては生きていけない。そしてぞれぞれの帰属集団を、家柄、学歴、職歴、本籍地、出身地、という名前でレッテル化して、肩書きと総称する。

所属すべき帰属集団から外れた人たちでさえ、「暴力団~組」という新たな帰属集団を持って生きていく。

そして、それぞれの帰属集団が、お互いの身内愛を持ち、他の帰属集団には、よそ者意識を持つ。オリンピックには国籍が、就職試験には学歴が、文芸面では受賞歴が、それぞれ冠される。

人を肩書き無しで見ることはきれいごとだと思う。だが、もし、この肩書きがなければ、帰属集団はワールドワイドになり、戦争も無くなるだろう。 話が飛躍しすぎそうなので止める。

「おくりびと」は納棺夫を描いた作品だ。葬式には俺自身、何度も行ったことがある。だが、自分の性質に凹んだのだが、葬儀場に行った時に、花輪の送り主の銘柄、参列人数なんかを見て、肝心の故人に対して偲ぶ心を抱いていないことが多かった。職場上の付き合いによる参列ならば、全く故人に心は向いていなかった。

俺の実父が死んだとき、義理のおじさん(おやじの弟)は、おやじが奉職していた当時の建設省の大臣からの花輪、弔電の到着を葬儀に間に合うように急かしていたのを覚えている。

死んだ後になっても、生前の肩書きが故人についてまわる事実を忌み嫌ったのを覚えている。そういう俺も、今では立派な肩書きウォッチャーになっている。哀しいが現実だ。

故人を冥土に送り出す「おくりびと」を描いた監督が、人でなくて肩書きを中心に賞賛される様子を見て、そして、俺自身が肩書きを忌み嫌いながらも、肩書きで人を無意識に見てしまうことがあることにも気がつき、自分の性質を、そしてつまらない冠を、超越した世界におくりたくなった。

『納棺夫日記』は名著だと思う。「おくりびと」は名画だと思う。

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