2007年11月21日水曜日

癒し

「バスあかり」なる商品があるらしい。小型のカップに入ったキャンドルで、浴槽に入れられるらしい。湯船に光るキャンドルに癒しの効果があるらしい。売り上げが好調なのかどうかはしらないが、目をつけたメーカーは、癒しに敏感である。

どっか、ふらりと出かけた公衆浴場に、たまに、こういった色物商品が取り入れられるのであれば、実に面白い。林檎湯、みかん湯、ゆず湯と色々あるが、その中に「バスあかり湯」があるのは良い。

詳細を知らない上で書いているのだが、どうやらこの商品は家庭用の浴槽を対象にしているもののような気がする。効能として神経リラックス作用があるのかもしれない。

色々なストレスや、色々な居住空間があって然るべきである。でも、個人的な実感として、「バスあかり」なるものが必要になるほどの癒しが商品化されて、そこにマーケットがあるという実感は無い。しかし、メーカーが出すのであろうから、それなりの勝算はあるのであろう。

癒しというものが商売上のターゲットになって等しい。「癒し」「リラクゼーション」なる言葉自体を看板や広告の文字でよく見かけるようになったのは、インターネットが多くの家庭に普及しだした頃と、同じごろではなかろうか? そんな気がした。

インターネット普及以前にも、今の癒しを目的とした商品と同じ趣旨のものがなかったかと言えば、あったはずである。例えば、バスクリンや小鳥のさえずりを録音した音源などである。しかし、販売促進のキャッチコピーが癒しをテーマにはしていなかったように思う。バスクリンであるなら、「温泉と同じ成分を再現! 我が家の温泉」といった文句はあっても(ダサすぎるコピーであるが)、「癒し」という言葉が組み込まれることはなかった気がする。

俺が初めて「癒し」という言葉を口に出したのは、たしか、嫁が自宅でお香を焚いた時だ。7年くらい前であろうか? その時には、世間一般に「癒し」という言葉が認知されていた。しかし、この言葉は、今の「スピリチュアル」といった言葉並みに、実に胡散臭い言葉として認識していた気がする。

癒しなるものが、いまいちわからないのだ。お香を焚くと確かに鼻が喜ぶ。香りを充満させた部屋で昼寝をすると気持がいい。しかし、これを特別なものとしてとらえなくても、仏間で線香の香りに包まれて寝ている時にも同じような作用があったはずだ。しかし、昭和の時代に仏間と仏壇と線香が身近な家の住人が、これを癒しとしてとらえていることはなかったと思う。そこで育った子供たちが、家を離れ、たまに帰省した時に仏間で寝ると、「あ~、いい香りだ。昔を思い出すな~。なつかしいよな~。」とほっとし、安眠を保証していたものではあったが、癒しを目的として、「よし、今日はお前が久々に帰ってきたから、仏間の線香の香りをラベンダーにしたよ。」といった、おもてなしをする発想自体がなかったのだ。

何が違うのだろうか?癒しの仕掛け人は誰であろうか?現代人が癒しが必要なのは、感覚的にはわかる。しかし、既製品でまかなえるものが癒しになるのかが疑問なのだ。

心ある人やペットとの交流、自然の眺望、入浴、音楽を聴く・・・・・、色々な機会が昔から与えられていて、それは人それぞれが、自分の嗅覚を頼りに探すものであったし、探し続ける限り、いつの間にか欲するものに辿りつけていたのではなかったか? パッケージされた癒し商品に、栄養ドリンクを買うような視点で癒しを求めることが、果たして癒しなのであろうか?

「癒し」という言葉の語感は好きだ。しかし、この言葉が、上質の飴であるかのように市場を跋扈し、この言葉を何の疑問も無く、治療的な感覚ですえる時代になっていることが怖い気がする。

インターネットの本格的な普及と同時に、「癒し」が認知されだしたというのは、俺の個人的な実感であり、統計も分析もない。しかし、実感ではあるがどうもあたっている気がする。それと時を同じくして、「鬱」という言葉も広く認知されだした。「心療内科」が「肛門科」より多くの独立医院として開業したのもインターネットと時を同じくする。

もちろん、インターネット以前にも「癒し」や「鬱」の感覚はあった。しかし、言葉として認知されることの意味は大きい。

癒されたいと思っている方や、「鬱」に苦しんでおられる方が、その人にとって最適なものと出会え、その出会いが彼らの辛さを軽減できるものであって欲しいと願うだけだ。

商品が増え、インターネットで調べ物も購入も楽になった。それと同時に「癒し」を欲する人が増えてきたと思うこの自分の感覚。 錯覚であってほしい。そして両者に因果関係がないことを願う。

「バスあかり」・・・どこの風呂場にだって明かりはある。浴槽にまで人工的な明かりを入れる社会を俺は健全とは思わない。

たかが「癒し」を狙った商品に絡めて、「癒し」をここまで重く考える必要自体がないのは、わかっている。世相に噛み付く卑しい思想にまみれている。しかし気になるものはなる。

俺は、「癒し」という言葉を口にしなかった時代の感覚で、ほっとする何かをたくさん身につけようと思う。

手始めに香りを出そう。  タバコを吸う。   咳が出る。 香りは病の香りだ。 香りを出すものはドラッグだ。「癒」はヤマイダレだ。 芳しくはない。 

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

たしかに、癒しという言葉が、最近、陳腐になっておりますな。
あれこれ病んでるのはわかるけど、だからって、お手軽な癒しが身近で増えたのかっていうと、それはまた別の話やもんね。

オレは「残念ながら癒されてません」と言える客観性を、今後も保持しようと思います。
自分のストレスや病み具合を見失わない為にも。

匿名 さんのコメント...

記名漏れに気付いたので、少し癒されました。

管理猿まえけん さんのコメント...

オオタ氏の言葉

>オレは「残念ながら癒されてません」と言える客観性を、今後も保持しようと思います。自分のストレスや病み具合を見失わない為にも。

すげ~、沁みた、惚れた。名文だ。

オオタ氏、先に上記のセリフ言っといてくれたら、俺はパクったのに・・・(笑)
読んで噛みしめるほどいい表現ですわ。うまいな~。簡潔で奥深い文章書く技量を身につけるわ。ありがとう(笑)