2008年2月2日土曜日

中華思想

中国餃子の食品問題が、今日の新聞にはぎっしり載っていた。1面、3面、社会欄、経済欄、社説と、かなりの分量がこの話題で割かれていた。思っている以上に、食事情を中国に依存しているみたいで、まったく困った話だ。

中国という国の最近の経済成長を脅威と捉え、先進国企業は中国でのシェア獲得に必死みたいだが、俺自身は、このまま、中国が発展するようには思えない。確かに人口は多く、商圏としては魅力的に映る部分もあるが、どう考えても、更なる発展を長年にわたって続けていけるほどの器がこの国にあるようには思えない。人種批判ではない。中国の国民の中に刷り込まれている中華思想自体が、恒久的な発展を拒絶する何かを持っている気がするのだ。

中国史を真面目に勉強したわけではないが、一時期、興味があって、関連書籍をそれなりに読んだ。また、歴史自体があまり好きではない俺だが、中国史だけは、一通り概観した。
この国に対する率直な感想は、「よくもまあ、これだけ同じことをくり返す国だなあ。学習能力がないのかなあ。」というものだ。

中国の歴史を王朝順に、興亡の過程を見てみると、全て同種に思える。傲慢になっては、しばかれ、しばいた救世主が、すぐにまた傲慢になり、また別の誰かにしばかれる・・・・。

正確にいうと、漢民族だけではなく、この広大な大陸に住む北方の民族も含めて、自らが中心であると勘違いできるだけの、中華思想が、この土壌に生きる人々に潜在的に組み込まれているような気がしてならない。それが興亡の歴史をくり返す源になっている。

「我こそは正義だ。我の趣旨にそぐわぬ者は排斥してしまえ!」という思想のもとに、人の命の扱いが、軽い国だ。趣旨にそぐわなければ、すぐに消すのだ。それが食に対するいい加減さ、人に絶対に謝らない尊大さにつながっていると思う。

もちろん、どの国も、我が国こそが正義と勘違いして、一時期、いちびることは歴史的にある。しかし、それが4000年の歴史中、常にくり返されてきた国は、ないような気がする。誤りをくり返す間のスピードだけの問題かもしれなくて、人間全体が持っている性質かもしれないが、かくも、短期間で同じことをくり返す国はない気がする。

実に単純な構図だ。「我こそは正しい」と思っている者同士、民族同士が、義の旗印に、ひたすら殺戮を繰り返し、たまたま人数と時勢が勝っていたほうが、一旦は全土の大半を征服する。しかし、彼らは征服した瞬間から、義をなくす。いや、義を、本能的堕落の享楽と勘違いする。そして、膨張していちびりが極度に達した時に、次は別の義を標榜する民族や一派が力をつけて、ぼこぼこにする。
この過程で、中国史は近世まで続いてきた。

清(この王朝は、個人的には中国の中で1番好きなのだが)以降の中国は、そのいちびりを、対外的な国家にも向けた。中華思想は、この征服王朝によって成熟を向かえ、文字通りの表面化をしてきたと思う。

力をつけて、世界からも一目おかれるようになった時、世界との協調関係を持てる素地が、彼らにあれば良いのだが、すぐに、血走ってしまう。その結果、周囲からボコボコにしばかれ、莫大な経済損失をくらい、しばしの低迷期に入る。しかし、低迷期にも、中華思想はずっと健在なものだから、彼らは決して反省しない。圧倒的な物理的に有利な背景を武器に、彼らはしばらくすると、驚異的な回復をとげ、また、世界の中での存在感を持ってくる。しかし、彼らが膨張しだすことは、対外的に散々、迷惑をかけた上で、壮絶なリンチに彼ら自身が合う時間が近づいてきたことを示しているような気がする。

昔、飲食店のバイトをしていた時、厨房で働いていた中国人留学生の王君と仲良くなった。彼は実によい奴だった。純朴だった。彼のでっかいカゴがついた、カクカクした自転車(豆腐屋さんの自転車みたいなやつだ。)に二人乗りして、よく鴨川に行き会話をした。彼の友人の劉君とも仲良くなり、俺の中での中国人に対するイメージは良かった。

しかし、どうしても彼らの考え方についていけないと思う出来事が、すぐにやってきた。

ある日、俺がオーダーを通し、彼らが作った料理をお客さんに提供するため、俺が料理の皿に手をかけようとした時だ。王君が反転して、完成した料理の皿をひじで突いてしまい、それが厨房にぶちまけられた。パリーンという響きが厨房に響き渡り、俺は、すぐにその残骸と破片を掃除にかかったのだが、別にこの時点では、どちらが悪いとかいった発想もなかった。

しかし、俺が掃除している間、王君は、何もなかったかのように、タバコをくわえだし、掃除する俺を関係ないような眼差しで見だした。俺の頭ではゴングがなった。

仕事が終わり、王君に、「皿が割れて、料理が台無しになったんやから、もう少し、それに対して真剣になってもいいんとちゃうん?」と、少し語気を強めて言った。

すると彼は、「あれは、ぽくが動く範囲にあった皿が悪いね。」と言ったのだ。俺はびっくりして、「そこに皿置いたんはお前や!ボケ!」と言った。すると、彼は続けた。「ぽくは置いたんだから、あなた、すぐにそれをどかす必要あったよ。」と、逆切れしだした。

俺は、怒りを失ったと同時に、強烈な国民性を感じた。たまたま、性格の悪い奴に当たっただけだと思うことにした。俺達の友情は、その日を境に終わった。もともと友情なんてなくて、興味本位の交流があっただけだったのかもしれないが・・・。王君のパカパカ!

しかし、これは王君だけの資質ではなかった。平気で外国の商品を模倣し、それに対して申し訳なく思うどころか、彼らこそが本道だと思っているようにしか思えないコピー商品の数々。なんでも、あるミュージシャンのコピー品が出回りすぎて、そのミュージシャンの正規版が、彼らの国では海賊版と認知されたという、嘘みたいな実話もある。すごい国だ。儒教とはこんな思想だったのかな? >孔子さん?

彼ら1人1人が悪いのではない。ただ、あの広大な国には、強烈な思想が世代を超えて受け継がれているのは、間違いないような気がする。彼らは彼らで、実に正直に生きているだけなのだろうが、その価値観や根本思想が、あまりに他とは違う。4000年の歴史が培った傲慢さを前にしては、北のジョン君の思想もかわいく思えるほどだ。

あんな馬鹿でかい面積を、1つの国家とすること自体に無理があるような気がする。省ごとにそれぞれ独立させたらいいのだと思う。あれだけの面積を統一しようと思ったら、そこには、確かに中華思想なるものが必要にはなってくる気がするが、分けてしまえば、そこは同じアジア人、もとい、同じ人間、ここまで大きな国民性の違いは出ないような気がするのだ。

王君も、プライベートで付き合う分には良かったのだが、仕事や協調関係が入るとき、俺の考えとは同考えても合わなかった。彼らの純朴さと頑固さは、日本人の言葉の定義を超える歴史的刷り込みを持っている。もったいない気がするが・・・。

中国の経済発展は、恐れるどころか、自爆を見守るだけでいいと思う。相手にしないのが1番だと思うのだがどうだろう??? 

国の根底にある思想に対する批判だ。人種、民族批判ではない。4大文明発祥の時とは、世界は大きく変わっているのだが、未だに彼らが持っている中華思想、これこそが4000年の歴史だ。誇るべき歴史ではない気がする。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

俺、今日さ、近所のスーパーで何気なく冷凍水餃子買ったんよ。
そしたら家にいた元ヨメに「この時期に冷凍餃子!?」って言われて「あっ」と思って、どこ製か見たら中国製やったよ(笑)

美味かったけどw

管理猿まえけん さんのコメント...

俺ら、殺虫剤原液でも少量やったらいけそうやもんな~。

とはいえ、お主、少々過労ちゃう? エヴァってる時間あったら、眠らないとあかんよ!
今度会ったら、中国産限定の冷凍商品のみ食べさしてな。