2008年8月22日金曜日

給食に米を

小麦価格の高騰を受けて、公立小・中の学校給食において、米飯が増えているというニュースを新聞で読んだ。その記事によると、パン食の時よりも米食の時の方が、残飯が大幅に少なかったという。

いい傾向だと思う。俺が小学校の時は、月に1回しか米飯給食がなかった。不思議でならなかった。港湾の倉庫には多くの古古米が蓄えてられるというのに、何でわざわざパン食にするのかが理解できなかった。

生徒側も、圧倒的に米飯給食の日を喜んでいた。パンを残して机の中に、カビが生えるまで入れている奴が見受けられたが、米を残して机に入れている奴は見たことがなかった。

給食のおばちゃんの手間が多少増えるかもしれないが、米飯納入業者がいるわけだから、洗い物の手間が増えるだけだ。何も米を洗って炊く手間まで増やすわけではない。許容範囲だと思う。

俺はパンが好きだ。だが、保存料と着色料がたっぷりの、市井に多く出回っているパンを欲しているわけではない。昔ながらの生地の香りが、じんわりとしみてくるパンが好きだ。大阪「さんしょ屋」さんのパンを筆頭として、贔屓の店が数件ある。
職人が精魂こめて作ったパンの味と技術には、いつも感嘆する。

美味しいパンを作る職人がおられて、その市場がしっかりある中で、何を好んで給食のカスカスパンを食べないといけないのか?小麦の浪費であると思う。こんなところで小麦を浪費するから、パン職人の手元に出回る小麦まで高騰してしまうのだ。
残念ながら、給食に出回るパンでは、味覚が肥えた子供たちに喜ばれるわけもない。

学校給食で出されるパンは、記憶をたどってみてもひどかった。パンを作る会社も気の毒だと思う。えげつなく低予算で作らされるのだから、製造会社に罪はない。予算的なことを考えたら仕方ないだろう。そうして作られたパンなんかは、小麦に対しても失礼な気がする。

親の経済力、嗜好に合わせて、おいしいパンを、学校を離れたところでたくさん食したらよい。給食は米食であるべきだと思う。米の不良在庫を給食で処理したらよい。キッズには栄養価だけがあればいいのだ。カスカスパンより、古米の方が栄養は間違いなくあるだろう。

「コメ」、「イネ」、「ゴハン」・・・、米にまつわる日本語は数多くあれど、英語では全て、「rice」である。日本人にとって愛情深き米が、生産調整にかかり、一方では古い米が多量に眠ったままで、他方では輸入米まで出る始末・・。農林の舵取りをする人たちの政策が何を目指しているのかわからないが、せめて給食には米でよかろう?

「米粒残すと目がつぶれど!」やら、「米には百姓さんの魂が入っとるんじゃ! 残すなボケ!」といった、米にまつわる教育文句は数多くある。これを言われると、どんなヤンキッシュな子供でも、従わざるをえない雰囲気に包まれる。

だが、「パン残すと鼻もげるど!」やら、「パンにはヤンキーのソウルが入っとるんじゃ!粉こぼすなボケ!」とは言わない。

小中学生の教育には、やはり米の方が適しているように思うのだ。

日本で備蓄されたまま眠っている古い米をキッズ達に消費させ、在庫を一掃させる。そして、農村の減反政策を解除し、どんどん農家に頑張ってもらう。食糧自給率もあがる一方だ。

その上で、パン職人が買う小麦だけは特別に安くしてあげ、職人たちの利益がもっとあがるようにする。ファーストフード店なんかが使う小麦には、たっぷりと税を乗っけてあげたらよいと思う。十分にそれでも採算が取れるだろう。

この経済政策で淘汰されるのは、給食中心のパン製造会社だが、彼らには、優秀な職人の下で、優れた技術を学んで独立できる徒弟制度を国家レベルで実施してあげるのだ。彼らにしても、残される率が高い、カスカスパンを作るより、しっかりと気持ちの入ったパンを作る日々に組み込まれることの方が、長期的に見たら幸せな感じがするのだ。

学校給食の米飯化を待っている。

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