2008年8月30日土曜日

秋止符

お盆明けからだろうか、秋の気配が漂ってきた。網戸の隙間から入ってくる蚊もいなくなったし、朝方入り込む風は、時に寒いくらいの日もあった。4日前には、近所の田んぼで米の収穫も始まり出した。

今年ほど、残暑を感じない年も珍しいのでは?と個人的に思う。暦どおり、順調に秋に近づいていっている気がする。俺の好きな秋だ。アリスの「秋止符」が今日ラジオから流れていた。

ゲリラ豪雨といった、新しい言葉の組み合わせが生まれるほど、全国各地に被害をもたらした集中豪雨が多かった今年の晩夏であるが、そのことも涼しさを感じさせる原因にもなっているのだと思う。

ゲリラ豪雨と言うが、俺の幼少の頃も、よく強烈な豪雨はあった。むしろここ20年くらいの方が、夏の夕立や局地的な豪雨は減っているような気がするのだが、どうだろうか?

大雨による土砂崩れや、河川の氾濫なんかに起因する災害はわかるが、最近の大雨災害は、地理的に河川や山に近くないところでも多く起こっている。アスファルトで水の逃げ口が少なくなっていることは容易に想像できる。ダムや排水システム工事なんかにたくさんの費用と労役を使ってきているというのに、肝心の道がアスファルト敷きでは、何をしているのやら・・。

アスファルトの道はどうも好きにはなれないが、現代の文明を全て環境問題に関連付けてセンセーショナルに騒ぎ立てる風潮は好きではない。例えば、今回のゲリラ豪雨にしても、「地球温暖化が原因だ」と言う学者がたくさんいる。素人が言うのと違って、科学者やねんから、ちゃんとした根拠もないのに、何でもかんでも「地球温暖化」で片付けるな!と、言いたい。

猛暑日が続けば「地球温暖化」と煽り、その原因をCO2の増加に関連付けて騒ぐ。
そら、確かに車は増えて、CO2の排出量は増えたが、俺自身は、たかが人間が出したごときの二酸化炭素は、自然を前にしては微量であり、自然の根底からを破壊するほどの力はないと思う。

森林伐採量を減らす工夫をするか、伐採量に匹敵する植樹環境があれば、自然環境問題のほとんどは解決に向かうような気がする。

環境問題を考えるのは大切だ。だが、環境問題をセンセーショナルに叫ぶ昨今の風潮は、一部の奴らの金儲けに加担しているだけのような気がしてならない。

だいたいだ、環境破壊を率先して加速してきた奴らが、環境保護を率先して叫ぶ構図は許されるのだろうか? そこに対する追求なしに、環境問題の解決もくそもあったものではない。

環境保護を訴えれば何でもかんでも是とされて、予算がたくさん取れる。また、環境保護政策に対する文句を言いにくくする環境が、1番地球に優しくない気がする。

洞爺湖サミットにしても、国会論争にしても、環境を真剣に考えているというよりは、まず最初に利権ありきで、金のなる木に対しての大義名分作りに思えて仕方がない。同和利権の構図を世界規模にしただけのような気がする。

もちろん、環境のことを考えるのは大切だ。1人ひとりが環境に優しい行動をすることは、かけがえのない地球にとって大切なことだ。

だが、買い物カゴの文化を買い物袋の文化にしてのは誰でしょう? そして、それを元に戻そうとしているのは誰でしょう? 

単に、スーパー袋を生産している業界の政治に対する力より、環境絡みで収益を上げる会社の政治に対する力のほうが、お上にとって魅力になっただけのことでしょう?

「地球温暖化で南極の氷が解けて地表が沈む?」 自然のシステムが異常をきたしていることは事実だ。それに対する解明と対策は急務だ。大切だ。だが、センセーショナルに何でもかんでも南極の氷が溶ける映像を垂れ流す必要があるだろうか?

お風呂に1㎡の氷を入れるとする。氷が解けて湯船から1㎡の水があふれるだろうか?素人考えかもしれないが、センセーショナルに叫ぶことだろうか?

「自然の景観をあるがままに、最低限度の加工だけを加えて、人間が自然の家に間借りする」といった思想に基づいて行動してきた人が、果たして何人いるだろうか?

あらゆる自然への冒涜と、金のなる木の構築をしてきた科学者と政治家と産業界が、科学的利権の飽和点が見えるや否や、今度は環境保護で金のなる木を育てようとする。

地球に優しいハイブリッドカー・・・、あほか! ハイブリッドの売り上げ、どんだけ好調やねん! どんだけ燃料使って生産してんねん! 単に金のなる木を変えただけでしょう?

今さら、車社会を元に戻せと言っても無理なのは認める。個人的には、過去のブログでも書いたように、馬の文化に戻して欲しいが無理だろう。だが、ハイブリッドカーが、さも環境に優しいかのようなCMなんかは、悪質なプロパガンダに思えて仕方がない。JAROも何しているんじゃろ? 取り締まれ!

わら半紙文化をコピー紙文化にしたのは誰ですか? 紙袋文化をプラスティックバッグ文化にしたのは誰ですか?

これからの一般ピープルに必要なことは、「環境」を冠した甘言を、必要以上に崇めないことだ。そして、嘘を見抜くことだ。そしてその上で、金のなる木を食い物にしてきた奴から、自然にとって本当によい政策をするための金を巻き上げる世論を作り出すことだ。

自然にとって本当に良い政策といっても難しいし、人間ごときが自然に対して優しい行動をするなんてことに酔いしれるのも傲慢だ。

だから、ただただ、今まで自然から借りてきたり、奪ってきたりしたものを返せば良いだけだ。例えば、パルプ会社、木材会社などからの法人税収入は、すべて切り倒した数の木に対する植林費用に費やせばよい。自然の恵みをたくさん食したのだから、俺たちの糞尿は再び田畑に撒けばよい。 要は、自然循環を元に戻す作業だけすればよいのだ。いな、元に戻す作業という言い方は傲慢だ。ただ返すのだ。

自然の循環に謙虚に参加させてもらえばよいのだ。文明社会は仕方ない。文明を享受してもよい。俺もしているし、さらにしたい。ただ、享受した分に見合う落とし前だけを、つける作業を怠ってはいけないと思う。

金のなる木を求めて、左から右へさまよい歩くのが環境政策ではない。環境プロパガンダには飽き飽きだ! 

「左利きのあいつの手紙 右手でなぞって真似てみる。いくら書いても埋め尽くせない 白紙の行がそこにある。」(by アリス) 


なんだか意味深だ。俺達は自然に対して失恋しているのだろうか? 
秋がやってくる。今年の秋は長くなりそうな気がする。秋止符を打てるのか?

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