2008年8月8日金曜日

軽トラが欲しい

学生時代に、京都「拾得」に必ず見に行っていたバンドがある。「さんれんぷす」というバンドだ。表記はアルファベットかカタカナだったかもしれないが、無茶苦茶かっこよかった。三重県のバンドだったが、情報誌をチェックして、ブッキングされていたら必ず行った。 

残念なことに、ベースの方だったと思うが、事故死されて解散してしまったのだが、今でも曲をよく覚えている。

「何ヶ月もたまってるローン、2人は取り残された。 あの子は笑ってる 線路伝いに歩くのが とてもとても好きだった。」という唄物には涙した記憶もある。

あと、ジャニス・ジョップリンの「ベンツが欲しい」を「軽トラが欲しい」と変えて演奏されていた記憶もある。これがまたかっこよくて、今でもはっきり音と映像を覚えている。

何で急にこのかっこいいバンドを思い出したかというと、今日、軽トラックをまじまじと観察し、魅せられたからだ。

我が塾の生徒の保護者で、子どもの送迎に毎回、軽トラで来られる方がおられる。
たまたま送迎時に車の前で立ち話をする機会があり、どういう展開でそうなったのかはわからないが、軽トラの話題になった。

俺が興味津々でその方の軽トラを見つめているものだから、詳しく車内も見せてくださった。

びっくり! 軽トラとあなどることなかれ! 見た目はどこにでもいるあの軽トラ、白くて小さくて4速までしかなくて、ギアチェンジがうるさくて・・・なのだが、どうしてどうしてハイテクなこと・・!

驚いたのが、オートマであったこととCDも聞けることだ。軽トラといえば、ミッションで、高齢者が下手糞なギアチェンジで、かっくんかっくん跳ねながら転がすイメージがあったのだが、最近の軽トラはそういや、あまり跳ねながら走るのを見ないと思っていたら、オートマだったのだ。

また、CDも標準装備のように見受けられた。軽トラといえば、ラジオのみ、それも感度の悪いアンテナでAMのみ受信可!といった偏見を抱いていたが、FMももちろん、CDも聞ける。普通車と変わらない装備だ。

普通車にあって軽トラにないもの、それはリクライニングだけであろう。それ以外は何不自由ない。欲しくなった。

軽トラが家にあることは何を意味するか、それは、彼らには田畑があるってことだ。
肥料を積んだり、稲を積んだり、重機を積んだり、軽トラ大活躍である。うらやましい。

今の時代、何が1番幸せかというと、野菜や米を自給自足できるということだと思う。
家の畑から野菜を採ってきては、それを調理する。何て幸せな光景だ。

もちろん、田畑を抱えた人なりに、農作業の苦しみなんかもあるのだろうが、刈り取る幸せと比べたら小さいと思う。毎日自分の糞尿も青空の下で垂れられるし、開放感も抜群だ。

俺は都会育ちの洗練された男だ(笑うな)。だから、土の香りもしなければ、土の知識もない。

最近まで、パイナップルは南国の木になると思っていた。ヤシの実の親戚と思っていたのだ。落花生は木になると思っていた。木の実だと思っていたのだ。ミョウガは、なんかの花が枯れたものやと思っていたし、蓮根の葉っぱがあの、お釈迦様が乗っている葉だとは、漢字で表記する機会を得るまで気づかなかった男だ。

土に塗れて、戯れて、日々を過ごす。晴耕雨読という理想の生活をするためには、耕す土壌がないといけない。

誰か親戚に頼んで、畑嫌いな人の土地をもらえないか? もしくは奪おうか? そんな良くない企みもしつつ、幸せな妄想にふける。天気が良ければ、ハイ装備の軽トラで毎日菜園に出かけ、自分で作った野菜をつまみに酒を飲む。

くあ~、痺れる。想像しただけで痺れる。

ずっと頭で「さんれんぷす」の「軽トラが欲しい」が鳴っている。記憶を頼りに弾き語りする。家庭再演だ。軽トラ欲しい、畑も欲しい。

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