2008年8月26日火曜日

ふるさと作り

一昨日の休み、暇を持て余していた俺は、近所の海に出かけた。車で10分くらい行った所に、「雨晴海岸」という、それはそれは絶景の場所がある。その手前に人影まばらな砂浜があり、砂浜から少し歩くとテトラポットが山積みの、絶好の釣りスポットがある。

テトラポット沿いと防波堤沿いに散策しながら、海面をつぶさに観察して歩いた。よくわからない雑魚に交じって、シマダイの稚魚がいた。テトラポットの縁には蟹がへばりついている。砂浜に戻り、流木で砂浜を意味もなく掘り返してみると、昼寝をしている蟹が現れてきた。俺は棒でツンツンと嫌がらせした。

軽いシュノーケル気分で岩場に張り付いているサザエ、鮑を剥がそうとするが、近辺に巡視船の姿が見えたので止める。密漁で前科者になるのは嫌だ。

密漁の企みは止めたものの、何だか満たされない気分になり、代わりにヤドカリの宿を奪ってやった。宿を奪って殻を割ると、仲には小蟹がまたまた昼寝していた。慌てて起きて、小さな鋏で俺の手を攻撃する。痛くはなかったが、デコピンして海に捨てた。全治数ヶ月の打撲だろう・・。

砂浜に戻る。わかめがたくさん浮遊している。少しかじってみたが、あきれるほどの塩辛さ・・・、涙目で吐き出した。天日干ししないと味噌汁の具にはならないのだと思った。

こんなたわいない数時間だったが、楽しくて、楽しくてたまらなかった。

もし、俺が海辺で生まれて海辺で育って、成人した後に都会に住むことになったとする。そうしたら、帰省時の「ふるさと感」は、たいそう心に沁みるものとなっていただろうと思う。

望郷の念は、自然と幼少時の遊びの記憶があってこそ高まるものだと思う。海辺で育った人間は、海辺で遊んだ記憶、近所の友達と水遊びした記憶が、望郷の養分となる。
山辺で育った人間は、山と川に挟まれた自然、カブトムシを採った思い出が郷愁を駆り立てる。

つまりだ、真のノスタルジアを味わうためには、自然の懐で育つという環境が必要なのだと思う。日の出と共にウォームアップし、日没と共にクールダウンする。自然の彩色以外には、装飾する光に乏しく、静寂の中で研ぎ澄まされた情操を高める。

そんな環境で育った人が、やがて都会に出て日々の喧騒にもまれる。無機質な高層ビルを見ながら出勤し、きらびやかなネオン塗れの夜景を流し見しながら帰宅する。家に帰れば、閉じたカーテン、季節の分からぬ部屋の中で習慣に沿ってウォームアップし、クールダウンする日々・・・。

こんな日々を過ごしている人が帰省する時の胸の高鳴りと、帰省してからの再生感は、都会生まれ育ちの人には味わえないだけの純度があると思う。

俺は都会から地方都市への移住者だ。つまり、シチー・ボーイからカントリーおやじへと変化を遂げたわけだ。俺にとっての帰省は地方都市から大都会への移動を意味する。

こんな俺にとっての日常は、自然の懐とは言わないまでも、少し足を伸ばせば豊かな自然に触れられる。

こんな俺にとってのふるさとは、都会の一角でかろうじて自然の息吹を残している土地だ。
幼少時に遊んだ公園はなくなり、残っている自然も人工的な補修がなされていて気味が悪い。幼少時の遊びの記憶が再現できないのだ。

実家の匂いというものがある。これは郷愁を満たしてくれる大事な要素だ。田舎の標準的な和風建築だと、畳や木や仏壇グッズが、ふるさと臭を発してくれる。

ところが、都会の家はどうも香りが粋でない。家人の体臭以外の匂いを発しない。俺の実家なら嫗猫ニールのアニマル臭しかしない。

小さな時に自然に囲まれた環境で育った人たちをうらやましく思う。完全なるお上りさんとなって都会に行き、そこに寄生し、いつしか仮初の宿を設ける。その環境で、年に1、2度帰省した時の、彼らの充足感がうらやましい。

ふるさとに対する感慨は千差万別であろうが、やはり都会から田舎への感慨であったほうがよいと思う。

ふるさとに対する感慨が希薄な俺は、幼少時につかみ損ねた情操を、大人になってから後追いしているような気がする。

だから、余暇には海に行く。蟹にいたずらする。ヒトデに慄く。
だから、余暇には山に行く。いで湯でたたずむ。漆にかぶれる。 ふるさと作りに余念がない。

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