2008年8月23日土曜日

走る文化―ジャマイカ

少し食いつくのが遅いが、陸上男子、ジャマイカのウサイン・ボルトさん、驚愕のタイムと映像であった。100メートルでは、最後を流して万歳ポーズでゴールイン! もう、器が違いますわ。まさに鳥人!

このボルト君に噛み付いた奴がいる。なんでも、「あのポーズは、敗者に対して失礼だ。」とか言っている。

オリンピックという、世界からのアスリートが揃っての偽装平和賛美大会、当然、そこには共通のルールがある。ドーピング検査にしてもそうだし、種々の国際ルールもある。
それをしっかり守った上で、勝利に際しての感情の表し方ぐらいは、別に千差万別であっていいと思う。

圧倒的な力を持った金メダリストに、いちゃもんをつけさせた黒幕は、俺はアメリカ人かカナダ人の奴らだと思う。(あくまで推測だ。)ジャマイカに対しての嫉妬の表れじゃないかと思うのだ。信じられないくらい稚拙な動機で、オリンピックは偽善的なモラルを振りかざす。

ジャマイカが今回の大会で躍進したかのように報道しているところもあるが、躍進ではない。昔から、走ることにかけては、世界で圧倒的に秀でている国なのだ。

以前、今回のボルト君と同じようにゴール前を流して勝った、ジョンソン君にしてもだ。表向きはカナダ人になっていたが、何のことはない、ジャマイカから、カナダが施設面や待遇面の飴をぶら下げて、さらってきただけのことだ。他にもアメリカ国籍で、世界大会で名を馳せた人にもジャマイカからの帰化人は多い。

ジャマイカに近代的な練習設備がなかった時代には、青田買いして、ブランドを付け替えて自国の栄冠に出来たのが、ジャマイカ国家が設備強化に乗り出し、青田買いが出来なくなったことへの妬みが、今回のボルト君へのいちゃもんになっている気がする。

面白い記事を読んだ。ジャマイカの記者の発言だったと思うが、ジャマイカの陸上の強さについて、日本人記者から聞かれた彼は、「日本人が、おじぎをするのと同じように、私達は走るのです。」と答えた。

ジャマイカでは、幼少の頃から、とにかく走るらしい。ボルト君にしても素足で連日、坂道を走りまわっていたという。

スペイン、イギリスと植民地化され、後から来た白人に黒人奴隷として酷使された歴史を持つジャマイカ。そして、貧困が当たり前の国で生まれたレゲエ・・・。

白人からの略奪、圧制に対して、過去に黒人暴動が起きたこともあるみたいだが、そんな鬱屈した環境で生まれた音楽が、スローなレゲエのリズムであるというのが皮肉に感じる。

ボブ・マーリーの歌には、究極の悲しみの果てにある明るさを感じる。そして、その究極の明るさは究極の悲しみに輪廻している。

一般的に、「ガンボ」という言葉は、ニューオーリンズの音楽に冠される。だが、清濁併せ呑んだガンボ間は、ニューオーリンズよりも、むしろジャマイカにあると思う。ニューオーリンズが黒人の鬱屈を発露とした音楽発祥のエリート地であるならば、ジャマイカは雑草ばりばり、ガンボばりばりの泥まみれの地だ。そこで流れるリズムは、底抜けにゆるい。鬱屈をゆるさに昇華したジャマイカの音楽に、心底敬服する。

気が狂うほどの哀しみを、走ることで昇華させてきた人たちだからこそ、作り上げられた、「走る文化」。 圧制続きの中で、世界に冠することが出来た喜び、そして、個人的な走る喜びを、ボルト君が体中で表したところで、何がいけないのか? 大賞賛で迎えてあげるべきではないかと思う。

今では近代化しつつあるジャマイカだから、ボルト君のスピリットとボブ・マーリー氏の時代のスピリットは違うかもしれない。ボルト君は、現代っ子であり、ゲームが好きでホームシックだという。

だが、「走る文化」の根底にある、ジャマイカという国が持っている、悲しみの果ての明るさは、現代っ子のボルト君にも根ざしているはずだ。

ジャマイカだけでなく、まだまだ機会がないだけで、とてつもない脚力を持った黒人の方はおられると思う。「走る文化」はジャマイカ以外の黒人国家にもある気がする。

ボルト君が作った、えげつない記録、それを破ることが出来るのは、ボルト君か、「走る文化」の国の人だけだと思う。

素晴らしき身体能力と、素晴らしき喜びの笑顔に感動を覚えた陸上観戦だった。

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