2008年8月22日金曜日

女子ソフトボールと野球

日本女子ソフトボールの戦いぶりには、すごく感動した。スポーツのテレビ観戦で久々に興奮した。

連日の連投でもしんどいと思うのに、延長戦を含みながら2日で3試合も投げぬいた上野選手の映像は、ぞくぞく震えるくらいの感動があった。

上野選手の精神力の強さは尋常ではない。同じく精神力が強い選手もたくさんいるが、韓国などのようなナショナリズムに支えられた強さとは何か違う。また、金メダルをとって家族に楽をさせてあげたいといった、貧困国のハングリー精神に支えられた精神的強さとも違う。

何かもっと素朴なものが、彼女の精神を支え、突き動かしていると思う。その素朴なものとは、自分の中での「ソフトボールが好き。」「頂点を極めたい。」といった単純なものだと思う。

「ここで打たれたら母国に帰れない。」とか、「これを勝てば英雄で、負ければ戦犯だ」といった、病的な怯えがある中で勝てる人たちの精神力もすごいが、個人的には、上野選手のような、素朴な動機に支えられた精神的な強さがのほうが、見ていて感動を覚える。

上野選手のこの精神的な強さの種類は、他の日本人金メダリストにも共通しているように思う。本当にその競技を楽しめて、好きこそものの上手となった人たちの極だ。

上野選手は、ピンチの連続を振り返ったコメントを求められた時に、「この緊張感は今しか味わえないと思って気を奮いたたせました。」と言っていたそうだ。

自分が好きなものに対して全力で取り組み、それをする上でのピンチを楽しめる域にまで達することが出来た上野選手・・・、上野選手のような、素朴な動機が日本人アスリートに最適な資質なのではないかと思う。

星野ジャパンの選手なんかのコメントを見ていると何だか違和感を覚えた。「日の丸を背負って」といった言葉が、多々出てきた。個人を捨てて国のために戦うといった姿勢が、個人個人の力量を超えた精神力に結びつく時代ではないと思う。

日常的に貧困が当たり前であったり、毎日身近なところで戦争が繰り広げられていたりする国の代表と違い、日本は実に平和な温室育ちだ。そんな彼らに「国を背負って戦え」といった意識の鼓舞をしても無理があると思う。「お前が好きでやっている競技だから、悔いのないようにやってこい」が、向いていると思う。

偉そうに書いているが、このオリンピックが始まる前までの俺は、アスリートが口にする、「楽しんでやってきます。」なんてセリフが嫌いだった。

「おどれ、国を代表して行っときながら、何が楽しむじゃ!もっと重圧感じてやらんかい!」といった、靖国の御霊にヒステリックになる右の人のような考えを持っていた。
だが、上野選手の姿とコメントを見ていて、認識が変わった。

国際舞台などの大舞台で、「楽しみたい」と言える人には、凡人が到達することができないだけの、凄まじく高い境地があるのだ。そして、その境地に達するまでには、厳しい自己鍛錬の日々があったのだと思う。そして、その厳しい日々をやり抜くだけの、努力を出来る才能が彼、彼女にはあったのだ。

個人的な動機に突き動かされて、1つの道に精進してきた人たちにとっては、国際舞台はハレの舞台であり、発表会だ。そこで感じる周囲からの視線には、いい意味で無神経になり、自分が好きなことに対するパフォーマンスを思い存分すること、それは「楽しい」に違いないと思う。

音楽を作りだす作業なんかと違って、勝ち負けがあるスポーツ、そこには種々の重圧があり、重圧に耐えるための精神が必要になる。

俺は、その精神論を振りかざす指導者が嫌いだった。「今までやってきた努力を思い出して、全力でぶつかっていけ!お前は負けない!」だとか、「ここまできたら気合だ!気合に勝ったものが勝てる」とか、「相手も同じ高校生だ! 強い気持ちで試合に臨め!」なんて言葉がたくさん指導の場面で垂れ流される。

でも、冷静に考えて、簡単に指導者は「今までやってきた努力」と言うが、本当に自分を追い込んで極限まで努力できた人間が何人いるだろう? 本当にそのスポーツが好きで好きでたまらないと思える人たちでも、ある極に達するまでの努力を本当に限界まで出来ているだろうか?

別に出来なくても卑下することではない。むしろ、極限まで努力できる人が少ないのだ。努力の才能を持った人たちが、突き詰めたトレーニングをした果てにある境地が、上野選手の言うような、「楽しみたい」になるのではないかと思ったのだ。

星野ジャパンと、上野選手がいる女子ソフトの栄冠の違いは、この「楽しむ」精神と、「楽しむ」ための過程に差があるのではないかと思う。

プロ野球選手は、高い給料をもらっていて、貧困国のようなハングリー精神はない。おまけに、日々の努力といっても、毎日が試合環境の中であり、自分がしている楽しい野球に対する感情も慣れてしまう部分があると思う。悪い意味での職業野球だ。そんな選手達に、「日の丸を背負って歴史に名を刻め」と鼓舞したところで、絶対的な動機が希薄だと思う。

女子ソフトは実業団の寄せ集めだ。彼女達に試合が連日続く環境はない。まして、大観衆の前で注目を浴びて試合する機会もめったにない。ひたすら地味な練習を繰り返し、長い先の目標に向けて自己鍛錬する。長期的な目標の方が自己コントロールするのは大変だ。そんな環境で努力に長けた者達がハレの舞台を迎える。大舞台で力を出し切れる環境からして、プロ野球とは違う。

オリンピック野球はプロ野球選手から選抜すべきではなかったと思う。アマチュアの中には、高い志を持って、努力する才能に長けた人がたくさんいると思う。そんな人たちにハレの舞台を設けてあげることが必要だったのではないかと思う。

ソフトテニスチーム、ほんと輝いていた。勝利に際しての笑顔の質までもが、男子野球とは違った気がする。

努力できる才能に長けた、輝く人たちの活躍を少しでも多く見たい。そして、一凡人として目の肥やしにしたい。

女子ソフトボールチーム、おめでとうございます。そして、ありがとうございます。

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