2007年11月1日木曜日

書評2

旅行記というジャンルの本は、小・中学生ぐらいによく読んだが大人になってから、全然読まないでいた。理由は簡単だ。行きたくなるから・・・。

単純な俺は、魅力ある旅行記に出会うと、すぐに旅立ちたくなる。

青春18切符の旅を書いた本を読んだ小6の俺は、小学校を卒業した次の日から、西日本を7日間かけて鈍行旅行した。当時の国鉄は赤字路線がしっかりあり、マニアにはたまらなかった。

結婚が決まりつつある24歳に九州旅行の本を読んだ俺は、おかんに「何も言わずに10万くれ」といい、無茶苦茶言われながら金をせびり、九州5泊バイクの旅にでた。

自分の欠点はわかっている。だから旅行記、特に海外は地雷のようなものとして触れないでいた。

しかし、最近は自制心がついてきているとの判断で、解禁した。

『タイ怪人紀行』・・・ゲッツ板谷著(角川文庫)だ。

この本は、書棚を見渡すたびに気になっていた。著者の他の本も俺を誘惑しまくった。だから開かずにおいた。自制を保てたもう1つの理由は、著者のことを、「ゲッツ」で一世そよ風靡したお笑い芸人と間違えていたのだ。名前の違いが未だにわからない。著者紹介の写真を見て顔が違うという判断だけだ。別人だ。

タレント本を読まない偏見、自制心の無さ、知ったかぶり・・・・。いみじくあはれなり。古典的罪だ。

で、この本だ。好きなのは単純だ。おもしろいのだ。受けを狙っている文章にしっかり撃たれるのだ。
射撃技術はたいしたものだ。西原理恵子の絵も好きだ。娯楽小説だが、ジャンクではない。
経験の面白さは、文章力を凌ぐ!実にハイソだ。 ゲッツを追いかけて、色々読もうと思う。解禁だ。

文学臭のある本:娯楽小説:ドキュメントもの=1:5:4 。  この比率が快適な読書だ。

文学的な香りのあるものは、読む時期を間違えると、どうしようもないほどの苛立ちを感じる。
今の俺が求めているものは、その人の経験値に基づいた体液の結晶だ。そこには最終的に文学的な香りを感じるが、切り口は娯楽である。 娯楽すぎるきらいはあるが、ゲッツの文(体験)は素敵だ。
ハイソな香りがプンプンだ。

久々に痛快な本を読んだ。映像を見る感覚だ。すぐに飽きて、文学の香りを求めるのかもしれないが、この娯楽との戯れを楽しもう。

本を読んでいて楽しいが、自制心を働かさなくても、東南アジアに行く勇気は、どうやら俺にはなさそうだ。俺はデリケートなのだ。手で雲古(注:開高健さん用語。俗に言う、バキュームされる汚物)を拭いたりできない。枕が変わると寝れない。また、スパイスが効いたものばかりを食べたら、アトピーが再発する。ボーントゥービーデリケートな俺は、本来はハイソなのかもしれない。

明日はハイソな本を読もう! 朕や、麻呂の御用達の本ではない。ハイソな本だ。武田泰淳を仕入れた。

ハイソサイアティの略語をハイソウルと認識していた俺は開き直って、言語紀行のブログを書いた。
ネタが無くて困っていたから、ゲッツ!明日は明日の風が吹く。灰燼ブログだ! 

2 件のコメント:

赤ひげtodタカ さんのコメント...

ケンヂ、俺ン家、ゲッツ幾つか有るアル。ほしけりゃ、モツ手逝くアル宜し。貴方、今度オレん家来る時、テープ忘れ茶イヤよ。デ、…。忘れた。ナニか一つ伝えトコって思ってたンやけど、ナニやったか…? 間っ、思い出たら連絡ス。ピース!

管理猿まえけん さんのコメント...

来たな。よく入れたな。君もいっぱしの電脳男やな。忘れ物多々あり。とにかくやるのみ。待ってろよ。