2008年6月4日水曜日

贅沢品? 必需品?

1リットル170円を超えて初めて給油した。40リットル近く満タンにして、6000円超え。もう笑うしかない。

ガソリンの税率が下がって1ヶ月は何だったのか? 

「世界的規模で二酸化炭素の排出減少に取り組んでいる時に、日本だけがガソリンの税率を下げて、車に乗ることを応援するようなことをするのはいかがなものか?」と言っていた人がいた。

もっともだ。現状では車が二酸化炭素を多く排出するのは事実だから、極力無駄な車の使用は控えるべきだと思う。そのために、ガソリン税を下げるなんてことはできない。安ければついつい乗っちゃうのは確かだ。素晴らしい理屈だ。
俺も無駄な車の使用を環境のため、減らそうと努力している。

ところが一方で、ガソリン税を下げない理由のもう一つの柱として、ガソリンにかける税金の収入が減ると、地方の道路整備費用が足りず、地方財政がまかなえないと言う。

「車は乗るな!」という一方で、「道路は作らせろ!」という。車が走らない道路なら、舗装も必要ないし、道幅も半分で済む。わが国は道路工事が趣味なのか?

車が地球温暖化を早めると非難する一方で、今までの国の発展は車と共にあった。

かざす議論の盾と矛が美しすぎて、韓非さんもびっくりだろう。

先見の明は銭儲けのみに向けられている。それ以外のことがどうなろうと知らない。

ガソリン税を下げることを政治闘争の題材にしようと考えている人もいる。一見、庶民の視点だが、残念ながら彼らには選挙の勝利しか見えていない。選挙が終われば知ったこっちゃない。終始一貫した主張をくり返す人が減ってきた。

都会の公共交通機関が充実している人と、地方の充実していない人、車が贅沢品である人と、必需品である人、この差は大きい。

ある高齢者が言っていた。「早く死ねというメッセージだわ。長いこと国と家族のために働いてきて、最期がこれじゃ悲しいの~。」シルバー人材で週に数回働きに出ている。残りの日は持病のために通院している。最寄りの病院には車を利用する。そんな高齢者だ。

「車に乗るな!」ということを本気で進めるならば、日本経済自体は1度沈没するだろう。裾野の広い車産業、車の需要低下は本格的な消費マインドを減少させ、未だかつてない大不況が来るだろう。

本気でするならばそれで良い。そのための苦しみならば一緒に味わおう。枯渇資源に対する依存症を治癒するために荒治療も大事だ。以前のブログでも書いたが、馬を復活させて、自動車メーカーは博労に商売変えをしたらよい。

ところが、本気になってはくれない。せめて、自分が生きている間は享楽を味わい続けたいのだ。環境に対する発言だって、北海道で開かれる世界的なコンパで、外人相手にいいかっこしたいだけだ。車には乗って欲しいのだ。道路も作って欲しいのだ。税金たくさん取りたいのだ。なぜなら浪費癖を止められないからだ。

収入が減るのが嫌だから弱そうな奴から、かつあげする。 かつあげするには手ごわい相手の場合には、詐欺をする。振り込め詐欺ならぬ天引き詐欺だ。それでもお金が足りなければ国債金融から借金をする。消費者金融ならぬ、官僚、政治家金融だ。返すビジョンはない。当然、キリトリもない。

政治家批判が主旨ではない。政治家が政治家なら庶民も庶民、やっていることは結局同じだからだ。コンパがサミットになっただけ、ヤンキーの身だしなみが背広になっただけ、全てはこのレベルで相似する。

一部の善良な人たちにとっては、不謹慎な言い方だが、ガソリンをきっかけとして、大不況が来て欲しい。覚悟を決めて、根本的な所から変革する時期に来ていると思う。
無駄なものを極限まで省いたらよい。

大不況といっても、いらないものがなくなるだけなので、大したことではない。車がなくなれば馬、携帯電話がなくなれば公衆電話、パソコンがなくなれば手紙と辞書、そうなれば、必要品と贅沢品の区別をつけるだけの賢さを手に入れられる気がする。

慣れた贅沢品は、やがて必需品になる。だが暫定的だ。すぐに慣れるだろう。楽観的でいる。

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