2008年6月30日月曜日

写真模様

夏がく~れば、思い出す~。 に~がい味~、いなご味~。

昔、口を開けて歩いていたら、口にイナゴが入ってきたことがあった。

幼少時の俺の写真を見ると、すねて写っている時以外は、100%、口をぽかんと開けて写っている。半開きで、魂を抜かれた人のような、しまりない顔・・・。

おかんがよく俺に言った。「写真撮ってもらうときは、口をちゃんと閉じなさい。あほの子みたいやんか!」

俺は言い返した。「てめ~の子やから、あほなんじゃ!」

布団たたきで尻打ちの刑を食らった。しかも、ずぼん、パンツおろしての生尻に食らった。

そんな痛い思いがあったからだろうか、高校生くらいからは、少し口を閉じるようになってきた。「ハイチーズ!」という声が聞こえる直前まで、くちをぽかんと開けていて、瞬時に閉じるように意識していた気がする。
常時、ぽかんと口を開ける癖は無くならなかったが、写真の時だけは口を閉じるように気をつけていた。

ところが、当時の写真を見るとどうも変だ。不自然極まりないのだ。

口を閉じるということは、唇上下を閉じればいいだけなのだが、当時の俺が、口を閉じるという動作を意識すると、おちょぼってしまう。おちょぼ口は自然だとかわいいが、不自然だと気持ち悪い。

カメラに向かって、チューをおねだりしているような顔になるのだ。暗闇で女性が目を閉じて、この口をすれば、絵的に需要はあるが、明るい所で男が目をギンギンに開けておねだりポーズをとるものだから、需要はおろか、通報される危惧すらある絵になる。

ある時はおねだり顔、ある時は蛸顔、ある時は殴られる前の顔、口の閉じ方に種々のバリエーションはあれど、どれも不自然だ。

だから、当時の写真を見るのは好きじゃない。気に入った写真は数えるほどしかない。当時にデジカメが普及していなくてよかったと思う。

大学に入った頃からか、写真を撮る時の変な力みは消え、自然な顔を出来るようになった。
口を閉じるということを意識せずに、自然体で写る機会が増えていた気がする。

ところが、大学から23歳くらいまでの写真を見ると、目が逝っていることに気がついた。
どう見てもシラフじゃない目をしている。犯罪者の香りはこの時代が一番きついと思う。
俺は薬はやったことがないし、今後もすることはないが、目はジャンキーのそれだ。

思い当たることがある。当時、俺はコンタクトレンズをしていたのだが、半年で2回無くした。そうなると当然買い替え費用は捻出出来ない。1個だけ残ったレンズを片目に入れて数年間過ごしていた。

すると視線が逝くのである。おまけに常に体内には酒が入っていたので、頭はとろ~ん、目に覇気はない。

この当時の写真も見るのが好きじゃない。写真に対するトラウマを感じる。

社会人になってからは、あまり何も考えなくなった。口を閉じようとか、目を素敵にしようとか、意識がない分、不自然な顔面部位はなくなっている。

ところが社会人以降、今までに至る写真も、どこか変なのだ。

3枚に1枚は半口写真、1枚は酔ってブギ~な写真、1枚は完全に間抜け顔、
撮られていることを気付かない写真だけが唯一、人間チックであるが、それ以外はジャンル的にはオカルトな気配のものもある。

俺の写真には心霊もどきの映り込みが入ったことがない。強引に探しても、何一つ写らない。
きっとオカルトな兵隊さんも、俺とは写りたくないのかもしれない。

今、写真は嫌いじゃない。むしろ一杯撮って欲しいと思うくらいだ。それは、ルックスに自信を持てるようになったからではない。ルックスやポーズに興味がなくなり、どうでもよくなったのだ。

最近の写真でも、モザイク無しでは人前に出せないようなものが多々ある。ただ、身内のインデイーズで見る分には摘発が入らないだろう。仮に見られても、ひどさを笑い飛ばせる自信がある。写真映りが悪いのではなく、実際がこんなもんだろうと思える潔さがある。

今の写真を数十年後に振り返ってみた時に抱く感情がどんなものであるか楽しみだ。月日の経過の早さに感慨深め、写真を見ながらほくそ笑む。半口開けながら、写真模様を記す。今日は2008年の前半最終日。

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