2008年6月23日月曜日

思春期への大人の目線

高2生の男の子を持つお母さんと話しをした。この子、お母さんと一緒にスポーツ観戦に行くという。暇だと買い物にもついて行くという。

中3生の男の子を持つお母さんと話しをした。この子、3つ上のお姉ちゃんと、お母さんと3人で、川の字になって寝るらしい。子ども部屋があるにも関わらず、近くで寝ることを好むらしい。お母さん曰く、「日常に、性の香りがしない。」そうだ。

上記の例に限らず、最近の子どもは親と仲良しだ。

うちの嫁も親とは仲良しなのだが、思春期の男がおかんと仲良しというのは、自分の体験からは考えにくい。

別に、「今の子は・・・・」といった世代ギャップを言いたいわけではないが、個人的かもしれないが、俺の実感としてあり得ない。

俺の思春期時代、おかんとまともな交流を交わしたのは、小3が最後だったと記憶している。盲腸手術に至る腹痛で、めそめそしていた時に、おかんが俺をおんぶして、近くの病院に連れて行ってくれた時だ。「あんた、重くなったな~。」と言うおかんの背中で、「死ぬ~死ぬ~!」と言っていたのを覚えている。道中、ザリガニが路上で干からびていた光景が残っている。

その時以来、結婚するまでの間、俺はおかん、おとん、兄、弟という家族を拒絶してきた。

授業参観の案内なんかは絶対に見せない。買い物なんかも絶対一緒に行かない。
友達が家に来た時に、おかんが登場するのが嫌で、家には極力友達を呼ばなかった。

おかんはワイルドだった。

友達の家に俺が行った時、友達のお母様は優雅だった。タカラブネのケーキと、紅茶なんかを出してくれた。綺麗な器と輝くスプーン、適温の紅茶にスジャータ・・・。
痺れていた。

友達に対する母親のもてなしの奥ゆかしさを俺は感じ、我が家にはないマイルドさを感じていた。

我が家に友達を連れてきた記憶は数えるほどしかないが、その初回が強烈だった。

おかんは、紅茶をだしてくれた。ところが、受け皿のないがぶ飲みコップであり、スプーンの代わりに、ジャンボサイズのフォークがお盆の上に、ボ~ンと置いてあり、ミルクは1リットルの紙パックだった。 並々注がれた紅茶、パックの牛乳、でかいフォーク!

ガテンおやじのおやつだ。 そしておやつに「かりんとう」と「房ごとバナナ」・・・

いくらなんでもひどすぎた。俺は傷ついた。それ以来、友達を家に呼ぶのは、おかんがいない時限定にした。

そんな、おかんだったから、俺はおかんの成すこと全てが嫌いだった。

中学に入った時、付き合う奴が悪すぎた。俺はヤンキーでもなんでもなかったのだが、友達がヤンキー道まっしぐら奴が多かった。

夜、家の周りで「パラリラパラリラ」と召集の音がなる。当然のごとく俺は出かけようとする。

すると、玄関前にはおかんがいる。手を水平に広げ、「あんた、こんな時間にまた、出かけるんか! 行くんやったら、おかあさんを殺してから行き!」とパジャマ姿で俺を阻止する。

ヤンキー友達は、俺のおかんの頑なさと、それに負けて家を抜け出せない俺に愛想をつかして、徐々に離れていった。今から思えばよかった。なぜなら、その友人は塀の中だからだ。

思春期の俺にとって、おかんは、俺の欲望を全て阻害する邪魔者にしか思えなかった。
ギターを買ってくれと言っても、「エレキは不良! クラッシックやったら買ったる」という。

俺が必死で手に入れ、必死で隠した春本は、すぐさま見つけ、俺の机にさらす。手紙が添えてある。「不潔! あんたを軽蔑します! 捨てなさい!」

ランディーローズのポスターを貼っていたら、「長髪で不道徳! 剥がしなさい!」と置手紙・・・。

俺のやることなすことを阻害する。仲良くなれるはずがない。

その当時のおかんと同じ年になった今、おかんの行動は偏っていたにせよ、少しは肯定できるような気もする。 おかんはおかんで必死だったのだ。
最近は帰省する度、ばあさんになったおかんに、なんだか、かわいらしさも感じるようにはなっている。

自分の体験だけで、一般的な子育て論を語るわけではないが、男にとって、反抗期というのは、なくてはならないものであったような気がする。
今、俺にとっての反抗期体験を俺は肯定出来るのだ。

自分にとって、1番無償の愛を与えてくれる親であるからこそ、その愛の動機が、欲望に盲目である思春期の子どもにとっては、欲望を阻害する邪魔者なのであり、その親との衝突があってしかるべきであり、その相克を経た先が個人の終生にわたっての人格を形成してくれる場面であると思うからだ。

今の思春期の男の子が、母親と仲が良いということは、平和で素晴らしく、微笑ましくもある一方で、そんなに良い子ばかりがいるだろうか?という疑問もある。彼らの人格形成が穏かであればあるほど、後に荒波が来たときの反動を危惧してしまう。余計なお世話かもしれないが・・・。

みんながみんな、親と衝突がないほど、平穏な日々を過ごせるほど、彼らにとっての思春期は刺激や起伏や、煩悩がない、平らな日々なのだろうか?  本当に疑問なのだ。

俺の世代でも兄貴や弟は、親とさしたる衝突はしなかったように思うし、俺だけが特別だったのかもしれないが、それにしても今の思春期の子ども達の、親との仲の良さは、なんだか不気味な気もする。

あくまでも主観だ。自分が親になって、子どもと接する時がきたら、また認識は変わるのかもしれないが、なんだか、現代が抱える病巣の根源には、反抗期レスがあるような気がしてならない。

ふと、そんなことを思った明け方であった。目が覚めたら、おかんに電話してみようと思う。俺の思春期の終わりは、遥か後方にあり、俺は、おかんに今、数々の暴行のお詫びをしようかな?という気にもなっている。 おかんにとっての病巣は去った今、俺の反抗期はレスだ。大人になった俺が大人の目線で思う。

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