2008年6月19日木曜日

ゴルフ

タイガー・ウッズの劇的勝利! 普段は全く興味のないゴルフだが、ニュース映像を中心に興味深く彼のプレーを見た。

プレーオフに残った45歳のおっさんもいい人そうだ。ウッズ相手じゃ勝てる気が終始なく、肝心の所で集中力プッツン! でも素晴らしい戦いだったと思う。

ウッズの体調が本調子でなければ、あそこまでもつれることはなく、圧勝で終わっていたような大会だったと思うが、痛みがあり、全て集中は出来ない環境の中、要所でマックスに研ぎ澄ます彼の集中力の奥行きの深さに感銘を受けた。

バンドマンにとって、ゴルフというのは、どうもイメージが良くない。体制側の娯楽の象徴に思えるからだ。

別にアナーキーに音楽をしてきたわけではないが、ゴルフをする人たちを、大きな偏見で包み、彼らに体制の嫌な象を抱いていたのは否めない。

育った世代も良くない。俺の世代の人間がゴルフという単語と遭遇する時には、そこには、政治家、バブル紳士、接待、といった、反骨心若者ならば、いっちょ噛みしたくなるような面々ばかりがいた。

おまけに、会員権が目玉飛び出るような価格だし、経済事件の殆どにゴルフ場の造成資金が関わってくる。ゴルフ場と金屏風はどうも好きになれなかった。

ゴルフに対する嫌悪感の正体は、一言で言うと妬みだったのだろうと思う。ブルジョワ階級しかしてはいけないスポーツであり、高嶺の花であり、そこに、羨ましいという感情を抱かさないためには、自ら、反体制派をきどるしかなかった。紳士のスポーツというものに対して、異常なほどの敵対心があった。

紳士になってはいけない!と一種の強迫観念めいたものを抱いていた我が学生時代、俺の勝手な大人に対する反骨心により、虐げられてきたスポーツの筆頭がゴルフだった。

そんなゴルフであるが、社会人になって3回したことがある。営業職時代の接待ゴルフのお付き合いだ。

親父の形見のゴルフクラブを片手に、ホールに立つ1週間前、俺は社長に打ちっぱなしで指導を受けた。

1回目から、しっかりクラブがボールを捉え、真っ直ぐとがんがん飛んだ。
ゴルフ歴10年の同僚に、嫌な妬みビームを受けた。頭の中にある、プロゴルファーのスイングホームを、ただなんとなく真似ただけの感じで振っているだけなのだが、えらく簡単に思えた。

いざコースに出てみる。パー5であれば3オン、パー4であれば2オン、そんなに苦労せずに、完全初心者らしからぬプレーでこなしていく。

周囲からは、「才能あるで~!」と絶賛、俺も悪い気はしない。キャデイーとこじゃれた会話をこなしながら、コース内を移動する。バブル紳士になった気分だった。携帯で、「何?10億?? 今すぐ買え! 全部買え!」と指示を出している場面を想像しながら、俺は尻をふりふり、優雅に歩いた。

ところが、パターの才能が恐ろしくないことに気がついた。芝生のラインは何とかわかる気がした。気取って、上級者の動きを真似て、読んでいるふりもした。

俺にとって最大の欠点、それは強弱能力の欠如だ。ドライバーなら、がつ~んとかませばよい。アイアンでのアプローチもそれなりに上手くはいった。

ところがパターの強弱が、えげつなくずれる。おかげて、2オン5パターやら、3オン8パターなんという有様。 グリーン上をあっちいって、こっちいって、グリーンからグリーン外へ何度もはみ出す力加減、才能の欠如だ。

終わってみれば、初デビューは136。並だ。

とは言ったものの、2回目は121、3回目は106。なかなか悪くないゴルフ体験だった。悪くないどころか、向いているとさえ思った。

もう10年近くやっていないが、今でも機会があれば、やってみたいと思う。
天気の良い日、綺麗な芝生の上を歩く行為、実に優雅で健康にも良い。ゴルフ場開発で追い出された、たぬきやらの動物には悪いが、ゴルフ場の人工的な光景は実に綺麗ですばらしくも思える。

ゴルフは、麻雀以上に、性格が出る。普段紳士で穏やかな人が、子どもじみた醜態をさらしたり、むきになったりする。普段、色んな着ぐるみをかぶせられた大人が、童心に帰れるスポーツなんだろうと思う。

今でも、自腹を切って行きたいと思うスポーツではないが、昔ほどゴルフ自体を否定しなくなったのは事実だ。

でも、ゴルフをする人には独特のルックスと性格がある。例えば、政治家になったYみねパパなんかは、ゴルファーの典型的なルックスと性格とを持った人だと思う。話す会話も想像できる。肌艶が土方焼けではなく、小麦色。着こなしも一定のゴルファー風味が確実に存在する。

それと比して、俺のルックスと性格・・・・・。やはり、乗馬やF1レーサーと同じく、ボーン・トゥー・ビー・ミスマッチだ。 マッチプレーの機会は訪れないだろう。

ないものねだりで、タイガーウッズのマッチプレーに酔いしれた。

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