2008年6月16日月曜日

旅への思い

2週間ほど前だろうか、ブラジルのペルー側、アマゾン地域に住み、現代社会との接触を絶っている少数部族の写真をスポーツ新聞で見た。

航空写真での撮影であろう、上から来る物体目がけて、部族の人たちが槍を放とうとする映像に衝撃を受けた。新聞によると、これらの少数部族を確認されているだけで20以上あり、未確認のものも入れると70くらい存在すると推測されているらしい。

狭い日本では考えにくいが、気が遠くなるほど広大で原野がまだまだ残されているブラジルなんかでは、政府といっても、把握しきれないことが多くあるのだろう。
それでも、把握しきれていない部族に対して政府が保護を考えているらしい。

ジャングル内で、外界との接触を拒んでいる彼ら、今やインターネットで世界が狭くなっているというのに、そんな情報網とは無縁の彼ら、そっとしておいてあげればよいものを、何を思って保護しようとするのだろう?

現代病に対する免疫がついていないから保護が必要だとの見解が載せられていたが、余計なお世話だ。現代病を食らう必要のない環境で、そっとしておいてあげれば、相対的な免疫力は彼らの方が上だ。

日本のサンカも、こんなでしゃばりによって衰退させられた面もあるだろう。狭い日本でコミューンを形成するのは大変だ。

それにしても、世界は広い。気が遠くなるほど広い。電脳世界のバーチャルな世界では狭くなったが、知らない所、ことだらけである。

職場で暇な時間があるときは、ひたすら地図帳を眺めている。頭の中で色々なイメージを浮かべては楽しんでいるのだが、窓から差し込む日差し、空の色は、めっちゃジャポン!

アマゾン川流域を船で旅する想像をしていても、横の空き地で雉が鳴く。
シベリア鉄道の旅を想像していても、通りで柴犬が吠える。
欧州の石畳を歩く姿を想像していたら、舗装工事が始まる。

全てにおいて、スケールが小さく、雰囲気がジャポン! いい日旅立ち出来ない。ジャポンは大好きだが、しばしの世界旅行の空想タイムには味わいたくない。

昨日、前々々職の社長から海外旅行のお土産を頂き、写真を交えながら色々と土産話も聞かせていただいた。

クロアチアへの10日間の旅をなさったのだが、写真を見るとほんとうらやましい。

空の色、水の色、緑の濃淡、色彩感覚から全て違う。ヨーロッパ文化のクロアチア、当然建築物は全てヨーロッパ風である。石畳、レンガを積み重ねた建築、全てにおいて、和にはないものであり、他所の芝生じゃないが、見とれてしまう。

色んな幸せの形があるが、旅を多くできることは最上級の幸せではなかろうかと思う。
国内も含めて、数多く旅をして、日常の生活にはない色彩、匂い、気配を1つでも多く味わっていけること、これ以上の幸せはないような気がする。

パック旅行、短期滞在では、その土地の生活の本当のことはわからない。異邦人にもなれないただの通りすがりかもしれないが、それでよいと思う。ただ、ひたすら雰囲気を体内に取り込めるだけで幸せだと思う。

暇がある若い時代には金がない。壮年時代は暇も金もない。老後は暇も金もあったとしても体力がない。
こんな定番の人生の中で、1つでも多く旅を出来た人がうらやましくもある。
自分探しの旅に出られた中田選手、探しすぎという批判もあるが、俺ごときが妬むレベル以上の人なので、単純に憧れを感じる。

少しでもこの幸せを味わうために今出来ること、蓄財はもちろんだが、やはり体力だ。身体的な体力の衰えは、多少は仕方がないが、飽くなき好奇心を保ち続け、眼が曇らないようにすること、これだけは念頭においていきたい。

せっかくの土地に行くことが出来ても、眼が曇っていたら味わいは下がる。同じ車窓からの景色を見ても、子どもの時分と今とでは、眼の純度と感受性が違う。

子どものような眼を求めるのは無理だし、また、無知であるがゆえに、味わえないものもある。

文化的な背景に対する造詣、高い思考力を持って眺めれば、子どもの眼にない純度は、別の角度から補えるだろう。

だから、今の感受性を持ち続けたい。持ち続けようとして気負うものでもない気がするが、思考を続けていけば、感受の泉は尽きることがないだろう。老後が楽しみだ。

こんな思いを交えながら、ブラジル少数部族に思いをはせた。少数ブログだ。

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