一週間ほど前の出来事だが、通勤途上、パトカーが数台と人だかり、カメラ取材、テレビ取材も来て、物々しい雰囲気の現場に遭遇した。ちょうど、用水があり、それをバックにインタビューを受けている目撃者らしき人もいた。
予想通り、翌朝の新聞報道を見ると、行方不明の高齢者が用水に落ちて溺死するという事件だった。
急に行方がわからなくなり、見つかった時には溺死という事実をつきつけられた遺族の無念たるや如何ほどか?
まして、亡くなられた方は、人生の集大成を迎えておられる高齢者、一生懸命生きてきた晩年がこの事態なら、ほんと浮かばれないと思う。遺族の方々も、よく見張っておかなかった自分を責めて、その苦悩は終生彼らを支配するだろう。胸が痛む。
高齢者が元気な地方都市では、これと同種の事件が頻繁に報道されている。山菜採りに出かけて行方不明、夜間の道路で車にひき逃げされる事件などが後をたたない。
田舎の高齢者は元気なのだ。70を越えても農作業に精が出る高齢者達、体力も脚力も健在である。ほとんどの時間を家にこもっているお年寄りなら、事故死という面では安心だが、バイタリティーに富んだお年寄りを家の中に拘束しておくわけにはいかない。1人でお年寄りたちが外出し、そこで事故に遭遇されても、周囲の家族を責めることは出来ないだろう。
俺も仕事の帰り道、危ないお年寄りを見ることが多々ある。夜の22時30ぐらいに、暗闇に同化したお年寄りが、道路を歩いたり自転車に乗ったりしている姿を頻繁に見かける。蛍光色の反射ベストを着るわけでもない。地味な服装で夜道を彷徨している。
おまけに彼らの耳は遠い上に、周囲のものへの気遣いも少ない。急に道の左端から斜めに道を横断しようとしたりするものだから、俺自身は、暗闇に同化する彼らを見かけたときは、完全に右側通行して避けることにしている。
車対歩行者ならば、完全に車が悪いのだから、運転手は加害者、高齢者は被害者という区切りがしっかりつけられるが、高齢者をはねた若い加害者は、その後人生をどのように償い歩んでいくのだろう? 加害者に同情する気持ちも強い。
高齢者の運転はワイルドだ。スピードが遅いのは良い。制限速度を守って走っている彼らを責めることは出来ない。
ただ、問題点は、彼らは制限速度を遵守する意識からのノロノロ運転ではないということだ。
ゆっくり走って安全運転をしているかと思えば、一時停止を無視する。
ゆっくり走っているので追い越そうかと思ったら、急に右折してくる。ウインカーはもちろんない。
場所を探している時は、平気で道の真ん中でハザードを点滅させずに停止し、後ろも確認せずにまた走り出す。
一事が万事この調子だ。彼らが事故に遭うのは偶然ではなく、必然であるように思う。
最近、高齢者の車にマークをつけることが義務化される道路交通法の改正があったが、効果は疑問だ。マークをつけていなくても、運転マナーの悪さからわかる。
交通安全運動中のスピード違反、シートベルト違反の取り締まりは頻繁になされているが、高齢者のマナー違反の運転の摘発は聞かない。本当の交通安全を考えたら、彼らを取り締まるほうが優先だと思う。
明らかに運転適正がない高齢者を公道に放置するのではなく、そんな現場を見かけたら、周囲のみんながナンバーを摘発して報告するようにしたらよいのだ。携帯カメラがこれだけ普及しているのだから、証拠写真の撮影も可能だろう。
車の運転だけに限らない。夜道を1人で歩いている高齢者、用水に近づく高齢者を見かけたら、目撃者が通報することの意識を啓蒙することの方が大事に思う。通報の受け入れ側も、その通報に迅速に対処する体制の整備があれば、悲惨な事故の多くは未然に防げると思う。
夜道を子どもが1人歩きしていたら、周囲の大人は声をかけるだろう。もし、対向車の運転席に子どもがいたら、俺たちはびっくりして110番するだろう。
高齢者も同じだ。
高齢者の人生の晩年が、事故死という最悪の結果にならないために、また、不条理な加害者を作り出さないために、こうした啓蒙活動を望む。
俺自身は、夜道で数回高齢者に声をかけたことがある。
「おばあちゃん、何してるの? ここは車がたくさん通るから、もっと目立つかっこしたほうがいいよ!」と声をかける。
夜道で急に話しかけられ、最初は怪訝そうな彼らも、話していくうちに、「きのどくな」を連発してくる。ポケットに入っているおかきをくれた高齢者もいる。気持ちはうれしいが、しけていたので捨てた。
今のうちから、こうした町ぐるみで高齢者を守る体制を作っておいて欲しい。なぜなら俺は歳をとったら、間違いなく動き回る部類の高齢者になるからだ。俺を守ってくれ!
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