2008年6月27日金曜日

機械がくれた機会

まずは、宣伝。
明日、富山市「村門」にて、ほうるもんライブします。出番は20時ごろで、60分近く演奏します。
暗黒ロックというコンセプトでのセットメニュー、いいライブしてきます。初ハコなんで、久々の感覚です。


昨日、携帯電話のトラブルがあった。保護者から着信があり、電話に出たのだが、全く音声が出ない。こちらの声が相手に届かないだけでなく、こちらも相手の声が聞こえない。全くの無音状態だった。画面に相手の名前が表示され、バイブも機能していたのだが、無音状態。

職場の電話でかけなおし、進路相談の要件は済んだのだが、その後、携帯電話から発信しても、あの、「プップップッ」から「プルルル~プルルル~」に至る音が全く出ない。
電波は3本びっしりとそびえたっている。おかしい。

ちょうど、期末テストが終わり、進路相談が重なる時期でもあり、携帯の故障としては最悪のタイミング。最近は、ソフトバンク同士の通話料が安いので、ソフトバンクの保護者は、職場の電話より携帯にかけてくる。そのため、非常に不都合だった。

最寄りのショップに電話して原因を尋ねると、機器の故障以外考えられないという。メモリーの一部消えるかもしれないが、修理するしかないという。仕方がないからショップに行き、メモリーに保管していた、詩の断片メモだけマイパソコンに送って、修理依頼書を書いた。
すぐに代替機を用意してくれ、アドレスだけ臨時で写して職場に戻る。
戻ってすぐに職場に電話があり、「携帯に電話したら、現在使われておりませんって言ってたよ!」と教えてもらう。

な、なんでやねん! 口座引き落としで金せしめておいて、俺に許可なく使われておりませんって何事や! 俺は孫君の顔を思い浮かべ、憤りまくった。
すぐに、ショップに電話して、「かんにんして~、代替機も故障なんでっか? システム障害ちゃうん?」と言うと、また持ってきてくれという。

なめとんか! 取りにこさせたいところだが、ジェントルな俺は二往復目に旅立った。

持っていくと、かちゃかちゃいじりだしたあと、「すみません。今は通じるようになりました。」とのこと。そして、その代替機を俺に渡しやがる。

「今大丈夫って、さっきはなんで大丈夫違ったんですか?」と言うと、「わからない。」という。そして、「修理に出しておきますので、治ったらメール入れます、と言う。

「ちょっと待ちなはれ! 俺の携帯機って壊れてるん? 単なるシステム障害やったんとちゃうん?」 と、少々きつい口調で言った。俺の感情のバンクはソフトではなくなった。

「あ、そうですね。じゃあ、試してみてくれますか?」と言う。

当然、何の問題もなく、バリバリ通じる。僕の二往復はなんだったの? 

結局、数時間の間、電話はかかるが、音が出ないという原因不明のシステム障害があっただけで、機器自体には何の問題もなかったらしい。非常に無駄な時間を過ごした。

それにしても、電話が一時的に通じないくらい、冷静に考えたらどうってことない、鼻くそみたいな問題なのだが、非常に不便に感じた。

携帯電話を当たり前に使っているけど、便利なようで実はむちゃくちゃヤバイもののようにも感じた。

携帯電話なんてものがなければ、人と人の連絡には時間的な大らかさがあって、誰も出なければ時間をおいてかけなおせば良いだけだった。緊急の事態なんかは、そう頻繁にあるものでもないのに、携帯電話が普及すると、何でもが無理やり緊急感を持ち出したように思う。

携帯電話に限らない。メールの普及で、伝達は同時性を帯びてきた。本当に電波に乗せて伝えないといけないことなんか、突き詰めて考えたらあまりないのだけれど、伝達が要求されるようになった。

便利さの追求で生まれた機器だが、実は人から時間と労力を多大に要求するようになっただけのようにも思う。大らかさが消え、実に慌しい日々が訪れただけのように思う。

物流面においては、発注して翌日納品が当たり前になったし、客からの電話は即連絡が飛び交う。ほとんどは緊急ではないのだが、同時性を持ってすぐに何かを必要とする。

パソコンを使用しての事務処理の多くは、一見作業を便利にさせたように思えるが、パソコンが普及しなかったら作成も不要であったドキュメントも増えているように思う。

毎日の生活で、パソを開き、メールをし、色んなサイトを訪問する。この行為が当たり前になっていて、昔の時間の過ごし方を忘れている。

俺の場合、読書時間や音楽を聴く時間などの総計は変化していないので、新たに別の時間が24時間内に入り込んだだけだ。

ブログを書くことは楽しい。人のブログを見るのも楽しい。以前には考えられなかったが、今後も俺はパソコン、携帯電話を好意的に使い続けていくだろう。

ただ、それが便利になったとは決して考えてはいない。インターネットで色々調べ物はたくさん出来るが、本気で調べたい時は書をあたる。中間の時間が増えただけで、最初から書籍にあたっても何の不都合もない。

なんでもだが、要は使いこなし方、関わり方の問題なのだが、いくら自分がスタンスを保とうとしていても、これだけの普及があると、頑なに拒否できない側面もある。それに、1度機器が生活に入ってしまうと、それ無しの生活が考えられない負の柔軟性を人間は持っている。

携帯電話、パソコンの普及のメリット・デメリットは一概に言えないが、人から時間を奪い、心を失わせる機会だけは確実に増やしたように思う。時間を奪われるか、心を失うかは人それぞれの自己責任だ。こうなってしまった以上、拒否もせず、賛美もせずに自分のスタンスで今後も関わっていきたいと思う。

今一度、個人的な関わり方の視点を見直す良い機会になった。機械がくれた機会。携帯ショップの中の待ち時間、いろいろ考えて、最後にはジェントルに店を出た。

職場への戻り道は、時間が緩やかに流れる気がした。

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