昨日は13日金曜日、俺の世代にとっては、それなりに話題になる暦だったが、昨今の、がきんちょを見ていると、さしたる話題にもなっておらず、昨日生徒に聞いても、1人を除いては「聞いたことはあるがよく知らない」か「全く知らない」というレベルだった。
1人、知っているキッズがいて、俺に「先生、今日は13日金曜日ですよね~。」と自らネタをふってくれた。
嬉しい俺、「知ってるんや? 何で」と聞くと、「父親がオカルト好きで、家にたくさんホラー映画あって、小学校の時からいっつも見せられたんですよ。」とのたまう。
どんな家族だ! 父親だ! ネタに飛びつき、嬉しがった自分の性分はおいておいて、「ちょっと待て!」と言いたくなった。
以前にも触れたが、俺の幼少時代、おかんは敬虔なクリスチャンであり、ホラーなんたる映像は、すべてが「THE サタン」。 目の前で俺がホラー系の単語を口にすること自体、かなり危険であり、仮にホラー映画を俺がおかんの目の前で見ようものならば、たぶんおかんは、体を張ってブラウン管を壊したであろう。それくらいサタニックな影響の排除に熱心なおかんだった。
だから、家で親が息子にホラー映画を見せるという行為が信じられなかった。
とは言いつつも、学校の友達との話題にホラー映画がのぼることが多々あった。また、友達の家でホラー映画を見ることがあったりもした。
「ポルターガイスト」か「オーメン」か忘れたが、なんか恐ろしい映画を友達の家で見せられたことがある。俺はおかんの教育の成果といよりは、元来のへたれものの性分からだろう、トイレに行くふりして直視を避けた。
何度もトイレに行くわけにもいかない。見なくてはいけない場面は目を閉じた。
すると、友達から馬鹿にされた。悔しいから、目を開けながら虚無の体勢に入ろうとした。
それでも限界があり、いくつかの場面は俺の脳裏にサタニックに今でも存在している。
サタニックなものに対する潜在的な恐怖と好奇心を持ちながら大人になった。最近では自分の中で消化出来ているような気もするが、当時は大きな問題だった。直視して、その話題で会話に参戦したい気持ち、一方で、見ることでサタニックになっていく自分、おかんを悲しませるのではないかという後ろめたさ、色んな思いがつまっていた。
「13日の金曜日」がその年の暦にあると、当日なされる会話が想像でき、だいぶ前から憂鬱になったものである。
消化した今だから言えることだが、「13」という数字に不吉な何かを見出すような潜在性を、日本人は元来、持っていないと思う。ナンバーに対する裏切りの認識はない。また、キリスト教徒が13という数字を忌むべき数字としているという認識が日本人にはあるが、ほんまだろうか?と思う。思ったほどの忌み嫌う感情はキリスト教圏でもあまりないような気がする・
俺が13という数字を見て思うのは、ゴルゴ13か、高校野球のベンチ入りはしたが補欠、伝令担当の球児だ。
昨日、「13日金曜日」に食いついてきた生徒に、俺は大人の雑学自慢をした。
「あんな~、13日の金曜日はキリストが磔にあった日やから、不吉に思われているんやで。そしてその日に最後の晩餐があって、13人の客が招かれていたことも不吉感を後押ししてるねん。You know? 」
感心するキッズ。そうなれば俺は調子にのる。
「そんでな、ゴルゴ13って知っている? ゴルゴダの丘ってところでキリストが磔されたんや、そのゴルゴダをもじってゴルゴ、そして、13を冠した作品の意味・・・You know?
つまりな、デューク東郷わな、生まれつき悲しい性やねん。十字架背負った名前で、相手の額を打ち抜き続ける彼の悲しみ分かるか? スイス銀行は彼の哀しみを貨幣に換えて成り立っているねん・・・You know?」
得意げに話す俺、生徒はそんな俺の気持ちを踏みにじり、微笑みながら首をかしげ、トイレに行った。
「新種の無視???」 You should know.
裏切りの使徒だ。 傷ついた俺は、校舎の壁を,「嘆きの壁」に見立てて涙をこらえた。
「13日の金曜日」という2文節がサタニックな意味合いを失った今であるが、俺の中では、キッズとのコミュニケーション面において、不吉な意味合いを持ち出したような気がする。
サタニックな事物を避けること、おかんの教えを今でも守っている。「オーメン」なんかは決して見ない。
神に祈る。「キッズに冷たくあしらわれませんように!」
アーメン!
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