2008年6月8日日曜日

秋葉原通り魔事件

またもや悲惨な事件、ニュース速報で知ったが、トラックで轢いた後、ナイフで数人を刺す。
供述が「生活に疲れてやった。」

こんな奴に供述調書とって、それを公的に発表する必要あるのかなと思う。

事件の因果関係を明らかにするために、犯行者の動機を聞くのが供述調書を取る目的ならば、通り魔みたいな事件には因果関係も、動機も関係ないと思う。

あるのは、人間が人間でなくなることもあり得るという事例だけであり、人間でなくなった奴の心境を人間が理解できるわけがない以上、報道性を帯びることにマイナス要素しか見当たらない。

なぜなら、こんな生き物の動機を垂れ流しても、遺族は耳を覆いたくなるようなだけだし、当事者でなくても聞きたくない。こんな犯罪に教訓もないので、犯罪防止への啓蒙にもならない。人間ではないからだ。

犯罪心理学者は言う。彼らがこうなったのは~~~という境遇が会ったからに違いないと・・・。未然に防げるサインがあったはずだと。

未然に防ぐといったって、どんな理由があるにしろ、人間なら無差別通り魔に爆発の火種は向かない。ありえない。あり得ん。Alien  エイリアンだ(注:SF用途での使用)

こんなエイリアンを産んだ家族に罪はない。どんないい加減な親であっても、彼らは人間だからだ。エイリアンに弁護人つけたり、処刑したりする費用があるならば、親族をどこかへ逃がしてあげる方が有効だと思う。

以前、小学校で無差別殺人を犯した、T間という名のエイリアンがいたが、彼は親に対する恨みつらみを述べていた。おやじさんも、映像で見る限り、どこか人間性が欠落した人のようにも思えた。でもおやじさんは人間だから、人間の行動をした。
息子は人間だったが化け物になってしまったという事実があるだけで、そこに因果関係もくそもない。

幼少期のトラウマが人を犯罪に駆り立てるということ、少しはあり得ることかもしれない。でも、犯罪といっても、怨恨による特定の人への殺人とは違う。無差別という殺戮行為だけは、人間では絶対出来ない。そこまで負の脳を俺らは持ち合わせていない。

人間が化け物に変化して、凶行に及ぶまでの過程、奴らは同じ化け物が犯す犯罪を養分にする。化け物へ変化途上の奴が、完成した化け物の言動を見て、化け物が化け物である正当性を見出す機会を報道なんかで与えること、これが1番良くないと思う。

残忍な犯行の詳細な報道は、化け物へと変化途上の奴への絶好の養分だ。化け物が報道されることで、そこに英雄性を見出す化け物がいる。奴らに養分を与えないことくらいしか、人間がとる手段はない気がする。

だから、こんな事件を報道しないでほしい。目を背けたいのではない。化け物予備軍に見られたくないからだ。

温暖化などの環境悪化で、動物さえも餌不足に悩む時代だ。
肉食動物がたくさんいる原野で、化け物の体にハチミツを塗りたくり、放してあげればよい。裁判なんたる高等なものは人間を裁くためのものだ。化け物の処遇は猛獣に任せればよい。彼らが浄化して食物連鎖にのせてくれるだろう。刑務官がボタンを押す価値はない。

奴らを放す場が特定の国の領域に入るのであれば、どこか領域が曖昧な無人島に離しても良い。奴らを食べる猛獣も不憫になってきた。

化け物に弁明の機会も何もいらない。人間の血税を費やすのは、奴らの食われる場所への移動だけでよい。空から落としてもよい。

人間に殺されたのではない。化け物に殺されたのだ。そう思っていただくより、被害者と家族への真のカウンセリングは出来ない。そのためにも、化け物を化け物らしく処遇する必要がある。彼らに人間の裁きを与えるのは、被害者に失礼だ!

餌を求めて平野へ降りてきた熊を殺すことの、是非を問うても良いが、化け物殺すのに理由も世論もいらない。綺麗ごとが付け入る隙間もない。化け物を裁くのに条文はいらない。
化け物に遭遇した被害者とその家族の救済に、人間の知恵とお金をふんだんに使って欲しい。

0 件のコメント: