2007年10月4日木曜日

役職名に思う

nakaさんから、ここで書いたブログが、mixiにも案内行く処理の仕方を教えて頂きました。実は、昨日から、まさにそれを望んでいたのですが、こちらが思うツボをしっかりと読み取ってくださる、氏の感性に敬服です。ほんと、naka兄貴は、コメントがタイムリーでいて、恩着せがましくなくて、コメント内容もすごく分かりやすいのです。氏みたいな人が教職につくべきだと思います。個人的に「naka先生」です。

いんちき塾講師も3年目、色々な教える立場の人間を、学校、塾問わず見てきましたが、はっきりと言えることは、大学時代から家庭教師、塾講師の職にあり、そのまま継続してこの仕事に携わった人よりも、社会人経験をしてからなった人の方が、力量ははるかに上だなということです。何が「講師」だ、何が「先生」だ!

「先生」って言葉を文字通り取れば、「先に生きてきた人」なので、小・中・高で携わる分には、確かに「先には生きて」ます。でも、この言葉は、なんか嫌いですわ。言葉としては無茶苦茶正しいので、これを使う生徒側には問題がないのですが、教える側が、自分を「先生」という言葉で認識している、裏にある思想が嫌いです。また、「講師」って言葉も、「師」の響きの深遠な意味が嫌いです。
学校も、塾も、その他教育機関も、聖職名を冠せられるほど、全分野で完成された人はいないから、「職業的教科指導者兼、情操教育先達見本員」って言葉が適切です。   長いか・・・。

社会的な役職の肩書きにしてもしかり、「会長」「理事長」「社長」「専務」「部長」・・・、
「内閣総理大臣」「大臣」「事務次官」「警視総監」・・・・。

個人的な理想をいえば、「~さん」「~様」「~君」「~兄貴」「~ちゃん」「~氏」「~殿」って言葉だけでいい気がしますわ。

「~さん」って言葉一言に、尊敬、親しみ、軽蔑等、±の両方の意味を込めて、表現できて、それを味わうだけの感覚が本来あるのだろうと思うので、言葉の裏に込められた意味をお互いが理解して、時には感情的になって、日々を過ごしていくことが、大事なのではないか?と思います。

思いっきりメンチを切りながら、「社長のおっしゃることは理にかなっております。」というのと、尊敬の眼差しが満ち溢れた表情で、「~さんが言っていることはすばらしい。」と言われるのでは、後者のほうが清いと思うのですが、社会的には前者が支持されますな。

何が言いたいかというと、人間同士のがちんこ勝負に、役職名がないと、表現できない感覚と、役職に込められた本来の意味を感覚的に味わうことを忘れ、ただ響きだけに慣れている感覚が嫌だなと!

美しい日本語、儒教的な感覚に基づく尊敬の念を表す言葉、言葉は大事です。でも、生み出された言葉を使う使わないは、個人対個人の関係であって、社会的な定義語として、あまりにも安易に流通している気がするのですよ。言葉は残して、役職は排除! 本当に使う必要がある方に巡りあったら、嫌でも言葉は生まれるし、復活しますぜ。 

連日の大げさな記述、俺は誰だ!

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