2007年10月18日木曜日

音がいいって何だ?

昨日の練習テープを聴いた。車で聴いた。実に良い。初リハとは思えない。自己満足かもしれないが、それが全てだ。自己満足出来るからライブをするのだ。
ギターとベースの御仁は、他のバンドがあり忙しい方なので、定期的にこのメンバーでやるのは難しいかもしれないが、出来るだけやりたい。テープ録音(ラインではない。そのままラジカセ録音ボタンオン録りだ。)なのに音が良い。いや、正確にいうと、俺の耳にとって音が良くて、音圧を感じる。

テープを集中して聴くために、いつもの通勤距離の倍を走りながら聴いた。
田舎に住んでいると車社会だ。音楽を聴く時間のほとんどが車中になりつつある。用事がなくても音楽を聴くために車を走らせる。俺にとって音楽は環境に優しくないのかもしれない。

中学・高校時分は勉強しながらイヤホンで聴いていた。ヘッドフォンではない。そんなハイカラなものはもっていなかった。片耳だ。だから青春の音楽の記憶は全てこもっていて、音が悪い。だからかもしれないが、昔よくテープで聞いたブツを大人買いして、聴き直してみると感動しないことが多い。

音が聞こえすぎると、耳だけが反応して心が反応しないのではないか? 読書で言う、「行間を読む」感覚が養われないのではないか? そう思ってみる。 ニールヤングは、ブートでも感動できる。

良い音が嫌いなのではない。むしろ好きである。少しひがんでみただけかもしれない。
アナログ信奉者でもない。ただ、音が悪いと、魂の優劣が全てになる。それがわかるわからないが、俺の音楽の全てだと思いたい。

いや、改める。良い音で魂を感じられる器官も養いたい。環境も整備したい。
しかし、定期的に聴くのはテープの音源だったりする。これからはテープで持っているものは、大人買いしない。大人買いして良かったと思ったのは、キングクリムゾンとトッドラングレンの紙ジャケだけだ。

俺は何を言いたいのか? つまりは、俺は耳が肥えていないのだ。耳を鍛えたいと思う。その上で、今の悪い耳が培ってくれた魂探知機能を活用したい。肥溜めは浄化槽にはならない。しかし肥料になる。
無菌室で育つと疫病に感染する。うんこで養分を宿したものを食したい。

俺は耳が悪い。口も悪い。汚い。音がいいって何だ?横浜銀蠅を聴きたくなった。あるのは連想力だ。

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