2008年3月4日火曜日

まがいものの美学

禁煙、嫌煙ブームが巻き起こって数年、今や、喫煙者に対する視線は尋常ではない。良くも悪くも日本人の潜在意識にタバコは忌むべきものとしてインプットされてきた。いいことであろうと思う一方、こんな簡単にタバコが嫌がられるほどマインドコントロール出来るものか?と思い、嫌煙家側からの啓蒙活動の上手さには脱帽すると同時に、人間の潜在意識を洗脳することは、国家プロジェクトになれば、かくも簡単なんだと思い、一種の危惧も感じる。

健康に対する医学的根拠なんてものは、統計をどの局面にフォーカスして取るかだけで、簡単に変わってくる。タバコにしても然りだ。肺がんにかかった人などに喫煙、非喫煙のアンケートをとるだけで、それなりの数字は出るだろう。喫煙者が肺がん患者に占める割合が高いといったデータはたくさん垂れ流されているが、あくまで一局面に絞っただけの統計だ。

俺自身が統計をとったわけではないが、喫煙者が多い職種を見ると、明らかにプロレタリアート階級が多いと思う。彼らの労働環境を見るとどうだろう? 工場内での粉塵まみれの環境、飲酒とセットになる宵越しの金はもたないぜ!といった発想、などを含めて統計を正確に出すことは容易ではない。

断っておくが、プロレタリアートに対する蔑視ではない。俺は喫煙者でプロレタリアート歴が長い。下層市民という訳語は適切ではない。国の繁栄を支えてくれるもっとも高貴で人間的な人たちの層を、俺はプロレタリアートと呼ぶ。彼らの労働環境が、どちらかというと国家の庇護の蚊帳の外に置かれていて、その一方で、彼らの働き無しに国家的繁栄がなかったのが、現世のプロットだ。

うまいこと健康志向を煽っているのは、高齢化社会が本格化しだしてきてからだ。浪費しすぎた金の帳尻が合わないことにおびえた奴らが、医療費を安くするための安易な発想で企てたプロットだ。

散々、喫煙者の支払う(というより、取れるところからカツアゲする納税システムだが)税金によって潤ってきた国家財政が、他の稼ぎ先を見つけ、そこに高齢化社会がやっと現実味を帯びてきた。お上がすることは、専売制でなくなった、たばこ生産・販売会社に見切りをつけ、健康被害を煽ることだ。そのために都合の良い統計を採取して形にするブレインは学会にたくさんいる。

俺は喫煙自体が有害だと思っている。空咳が出るし、わが身を臨床的に鑑みても、禁煙していた時のほうが、明らかに健康的であったと思う。だから、今の嫌煙志向が、例え病的であっても、一応肯定する。

しかしだ、喫煙を被害を声高に叫び、排除に躍起になる一方で、毎日の俺達の生活環境は、健康志向に矛盾しないものを与えられているのだろうか? 食料にしても、農薬がもたらす長期的な健康への害、環境汚染プロジェクトと一掃プロジェクトの相反するものに、共にお金をかけて邁進する。健康志向なんてものは、健康な気分になれる施行であり、頭の良い官僚はそのプロット作りに心血注ぎ、彼らの日々のパンを手にする。

喫煙を正当化する主張では断じてない。ただ、健康被害は体感して分かるものにも関わらず、吸ったことがない人が、「タバコは害」と思い込めるだけのプロパガンダというか洗脳力は、色んな意味で気持ちが悪い。

人を殺してはいけない、盗みをしてはいけないといった、生まれつき持っているであろう性質と、タバコが悪だという思想は、全く持って非なるものだ。それが、最近ではヤンキーに対する嫌悪以上のアンチ性を帯びてきている。

今のヤンキーはタバコを吸わない奴が多い。ヤンキーにも忌み嫌われる嫌煙思想が、これだけ短期間に植えつけられるなんてことが恐ろしいのだ。

タバコの原料は葉っぱだ。葉っぱはハーブだ。ある草は癒しで、ある草は麻薬だ。どうなんだ?
薬草のど飴を舐めながらタバコを吸う俺は、薬草フェチか? 薬草ガンボか?

葉っぱを包むあの紙が悪いのだ。煙が悪いのだ。葉っぱは漢方なんだ。それならば葉っぱだけをつめて吸う煙管を今こそ大々的に復活させればよいのではないか?

そんなにタバコが嫌いならば、煙管以外の巻きタバコを禁止したらいいのだ。その方が粋で良い。煙管を吸う人が増えたら、それはアロマな香りを室内に漂わせ、ヒーリング願望も同時に満たせるだろう。
簡単なことだ。それが出来ない理由は簡単。お金になるかならないかだ。自分に銭をもたらすための色んな利権調整だけが得意なお上がすることは狡猾で、統計トリックを駆使することにだけ秀でている。

中途半端なのだ。タバコは麻薬なみに禁止にしたらいいのだ。そして、今まで国家プロジェクトでタバコで死に至った人たちを靖国並みに鎮霊してあげたらいいのだよ。それが国家的禊だ。

話しがややこしくなってきた。何でこんなに怒っているのだ??? 巻き戻す。

俺は今日帰ってきて、パソを開いた。ヤフー画面に「シガーブーム」なる文字があった。それに興味を惹かれ、読んでいるうちにいらぬ連想をしていたのだ。単純だ。

cigar ・・・ 葉巻: 優雅で中毒性が無く、今はシガーブームらしい。シガーを提供するシガーバーなるものもあるらしい。ハイソな奴らが煙を嗅ぐ。間接喫煙は雅で、芳しきハーブだ。

cigarette ・・・ タバコ: 今最も嫌われているブツで、煙を嗅ぐのも嫌悪される。煙を横流ししようものならば、ばい菌扱いだ。間接禁煙はサリン並みの猛毒を持つと信じられている。

cigar と cigarette 、この2人を似て非なるものにしている言葉は何だ!  ette だ。

ette : 「~まがいの」 、「ちいさい」         なにお~~~~!!!!!!!

「葉巻まがいのちいさい・・・・」 なんだかタバコがかわいそうになってきた。それに対する怒りだった。俺も小さい。まがいものにはまがいものが似合う。もうしばし、シガレットをたしなもう。

こんな俺は気が小さい。キッズの前でタバコ臭を撒き散らさないように、職場では吸わないようにしている。仮に間に吸ったとしてもだ。ガムを噛み、飴を舐める。etiquette だ。 
「エチケット」は「エッチなまがいもの」だろうか? そんなはずがない。造語の語感に噛み付く俺の矮小さには、ささやかな美学がある。 まがいものは、大きなものに接尾されるのだ。シガーに接尾されたレットという接尾語は、アウトレットであろうがなんであろうが、そこに美学を見出すのだ。

明日も路傍で煙をくゆらす。 そして、唾をペットボトルに、pette 吐き出すのだ。 間がいいのだ。

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