2008年3月29日土曜日

痴感の旅

今日は休みだったものの、午前中に生徒の外部模試結果をまとめて取りに行き、一喜一憂しながら家庭教師へ。

昼過ぎから、病み上がり感はないのだが、一応おとなしくしていようと思ってひたすら読書。

ちくま文庫『路上観察学入門』(再読)、『超芸術トマソン』(初読)、『反芸術アンパン』(初読)と赤瀬川原平氏の連続3冊読みだ。

正直、まだまだ傾倒するほどの、のめり込み感はなかったのだが、読んだら読んだで面白かった。路上観察の視点が、前衛というか、細部を見ないで全体を味わう俺とは全く違うのだが、興味のツボを刺激された。再読した価値もあったというものだ。

それにしてもちくま文庫は面白い。絶版になっているものも多いが、古本屋でも結構手に入る。少し値段が高めだが、ここ数年、読みたい本がいまいち見つからず迷った時はちくま文庫の棚から探している。まったく興味のない分野でも、ちくま文庫の作品をきっかけとしてひきこまれた分野が多々あり、すごく重宝している。

写真の多い本は立ち読みで事足りる。それ以外をちょっとずつ買っては読み重ね、老後にはシニア買いで、目録取り寄せて、読んでいない本は全部買いたい。絶版本は古書店のおやじに全て探してもらうつもりだ。「(目録を指さしながら)え~っと、この線引いているやつ全部ちょうだい。 お金?? ノンノン なんぼでもいいで~」  しびれる~~。

そのためには今はひたすら仕事するしかない。豊かな老後を過ごせるかどうかはここ2年ぐらいが勝負のような気がする。夢を見るのは得意だが、現実は苦手だ。まあなんとかなるだろう。

上記3冊を読み終わって、手元に読みたい本がなかったので、地図帳をじっと眺める。見ても見ても飽きない地図帳、そして見ても見ても覚えない地名であるが、地図帳ほど繰り返し見ても飽きない書物はない。世界地図なんか見ようものならば、狂おしくなるので、今日は日本地図だけにしていたが、それでも楽しい。1時間くらい眺めていた。

どんなに出張続きの営業マンだって、日本全国のどれだけ多くの土地に行けるのだろう?仮にかなり多くの数に仕事で行く機会があったとしても、その多くはリピート先であり、すごく小さな空間の中での見慣れた土地の1つにしかならないだろう。

俺は独身時代を含めて今までに7回引越しをした。京都市内の引越し3回を含めてもたった7回だ。それと別に、スクーリングで1ヶ月弱の滞在を3箇所でしたことがある。それをいれてもたった10回だ。

京都市内での引越しであっても、引越しするたびに近隣の町並みの変化に感動した。住んでみないとわからない、その土地の匂いやテンション。近場同士の引越しで、近くを既に通っていたことがあった場所でも、住んでみないとわからないことが多かった。

近くに酒屋のおかみがナイス婆だ、銭湯まで歩く直線距離が心地よい、近くの中華料理屋が美味い・・・といった、マイナーな地域的満足感から、隣の家はご主人がDVだ、100メートル先の家はどうやら893のようだ、町内会のおっさんの声がでかい、レンタル屋の店員がいつも困った顔をしている、近所のスーパーのあさりは、茹でても貝が開かない率が高い・・・いった、これまたマイナーな生活雑学を得る。こうして初めて、その土地を知ったことになる。

旅行で、ちらっと通って、その一部だけを概観してわかる町の雰囲気というのもあるが、実際のところは、それぞれの町に最低数ヶ月は住んでみないとわからないものだ。

う~む、悩ましくてキュンとなる。

1つでも多くの土地に住みたいなんて願望を抱いたら、キュンキュンきまくって消耗するので、なんとか気分転換をはかる。妥協するにしても、1つでも多くの土地をこの目、この足で実際に味わいたい。単なる旅行者でもいい。死ぬまでに色んな所に行きたい。真面目に「どこでもドア」があったら??なんて数分間考える瞬間がたくさんある。

行きたい所を今思いつくだけ、順不同で羅列する。

「アボリジニが足踏みしている現場」、「北朝鮮とのあらゆる国境」、「シチリア島」、「砂漠のオアシス」、「石油王のコミュニティー」、「テポドン発射場」、「酔拳しているおやじがたくさんいる中国のどっか」、「国勢調査のなされそうにない中国辺境」、「オーロラ見える所」、「ヴードゥーの呪いの儀式をしている現場」、「裸族がたくさんいる所」、「スイス銀行本店」、「ヨハネスブルグの駅前」、「赤の広場」、「ハイジのいるアルムの森」、「反日の1番盛んな中国のどっか」、「北と南の極」、「シベリア鉄道沿線の1番人がいないところ」、「アマゾン川の川辺の集落」、「パプア」、「バチカン王国の1番小さな家」、「イスラエルのど真ん中」、「ヘ~イ、メ~ン!というブラザーがいっぱいいる所」・・・、

いかん、海外ばかりだ。国内に限定する。「九州近辺の島全部」、「青森金木周辺」、「流氷見える所」、「網走刑務所」、「八甲田山の頂」、「樹海全部」、「九州周辺の島全部」、「北海道の上の歯舞やら読み方難しい所」、「またぎがいる土地」、「赤線跡全部」、「構想事件現場全部」、「松本清張の作品に出てくる現場全部」、「各宗教法人の本部全部」、「さぶちゃんの自宅」、「落ち武者が逃げた所全部、隠し湯全部」、「釜山に1番近い日本のどっか」・・・。

いくらでも出てきて際限ない。地図をどんなに見ていても飽きない。ところが俺が行きたい所とすぐに思い浮かぶ所は、地図には目印がないポイントがほとんどだ。

文章と文章の間にあるサムシングを読み取ることを、行間を読むと言うが、俺がやっていることは、地図にある地形や地名の間にあるサムシングに思いをはせることだ。地間を読む。「チカンヲヨム」・・・、なんだか語感が悪いが、地間読みが楽しいので、もうしばし眺めてみよう。

頭で描く量に対して実際に体感出来る機会の少なさが実感され、どうしようもない物理的制約を前に、キューンが頻繁に我が胸を襲う。死ぬまでにどれだけ行けるやら・・・。

地間読み→キューン→地間読み→キューン・・・。堂々巡りをしながら休日を過ごす俺・・・。痴感だ。

0 件のコメント: