2008年3月18日火曜日

合格発表前日

今日は、以前2年ほど交流があった生徒が大学合格の報告に我が職場を訪ねて来てくれた。進学校から国立大学への進学が決まり、晴れ晴れとした彼女達の表情を見ていると、こちらも清清しくなる。受験勉強に拘束されてきていた日々が長かったからか、今は時間が余って仕方がないといった感慨をもらしていたが、わかるような気がする。一種の燃え尽き症候群に似た何かを感じているのだと思うが、今は鋭気を養って4月からの楽しい日々に備えて欲しい。

彼女達が帰ったあと、今の塾で教えていた中3生の保護者がご挨拶に訪れてくださった。卒業式を終えた後の礼服のまま、塾にも足を運んでくださった。推薦入試で決まった生徒と、明日に県立合格発表を控えた生徒の保護者だ。
決して偏差値が高い学校への進学ではなかったのだが、勉強というものに全く縁がなかった子供が、彼らなりに目の前のカリキュラムに取り組み、高校受験終了後に、「全力でやった。」と家庭内でもらしていたこと、そして、そこまで取り組む気にさせてくれたことに対する感謝を伝えてくださった。

先週から、色んな保護者から感謝を伝えていただき、色んな差し入れを頂き、感謝と同時に少しほっとしている。塾という立場上進学校を受験した生徒の保護者からの挨拶も嬉しいが、偏差値の高い学校に進学してもらうこと以外にも必要性を感じていただけたことが嬉しい。

この仕事について丸4年が経つが、今までで俺が1番嬉しくて、支えにしているのが、県内最低偏差値の県立高校にやっとのことで合格した女の子から言ってもらった言葉だ。俺がこの仕事を初めて1年目で知り合った子だ。

彼女は中3の夏に塾に来た。おそろしく点数が悪く、物覚えも意欲も決して高くない生徒であったが、休まずに来てくれた。言葉も態度も悪い奴だったが、憎たらしいことを言いながらも、ちゃんと取り組んでくれた。2ヶ月くらいすると楽しそうに勉強をするようになり、決して点数が劇的に上がったわけではなかったのだが、なんとか県立に入れた。合格発表の日、彼女は俺の元に報告に来てくれ、「勉強は今でも嫌いやけど、勉強することも悪くはないと思えるようになったんは、おっちゃんのおかげやで。」恥ずかしそうに言ってくれた。何だか嬉しいと同時に、これだ!と思った。

学力不十分の俺が教えられることは、学ぶことの楽しさだ。学ぶことが楽しい境地に至るには、10代は未熟すぎる。しかし、境地に至るまでの漠然としていて何だかわからないが、やってみてもよいと思える何かを提示してあげることが、先達の仕事のような気がした。この気持ちを持って今に至っている。たった4年であるが・・・。

夜には、以前のブログでもふれたが、不登校で悩んでいる生徒から相談を受けた。明日、久々に学校に行ってみるように学校から勧められて、行きたい気持ちはあるのだが、どうしても体が拒絶反応をして辛いとの旨だった。明日の朝になってみて、どうなるかわからないが、まずは精神的な動きがあったことを素晴らしいと思う。漠然としていても彼に光明が見えていたらと願わずにはおれない。

夜には、長野県の諏訪市への就職赴任が決まった明君が、単身で異郷に飛び込む不安な心境を吐露してくれる。今月初めに履歴書を送り、面接してすぐの赴任打診で戸惑ったようだが、今月末には赴任するみたいだ。結構な高待遇での赴任だからプレッシャーもあるだろうが、素敵な出会いがあればいいなと思う。明君自身が抱えている苦悩が、ふっきれる機会になればいいと願っている。

さて、自分のことを考えてみる。物心ついた時から何も変わっていない自分の未熟さへの自己嫌悪やら、未来への得体の知れない不安、だましだまし日々を重ね、正視することを無意識に避けてきているが、それでもなんとか平穏に過ごしている。全ては、人との交流を通して得られる素晴らしきパワーのおかげであると思っている。

変えたいと思っているもので、変えられるものは変え、変えられないものはあきらめる。良くも悪くも潔さが出てきているような気がする。あきらめとも開き直りとも違う、ポジティブなあるがままだ。

基本的な性格や気持ちの方向性、価値観は思春期に全て固まっているような気がする。大人なんて偉そうな仮面を羽織っているが、内面は10代と変わらない。消化して成長できているなんて自惚れてはいないが、マイナスへの対処の仕方が上手くなってきていることは嬉しく思う。
全ては、人との交流のおかげだ。特にここ4年間、若人の気持ちの変化を身近で観察できて、得るものが多い。この先今の仕事をずっと続けていくのかは未知数で、飽きたら別の仕事を始めるかもわからないが、色んな正の影響を受け続けることが出来るという面では、この仕事はもうしばらく続けてもいいような気がしている。

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