2008年3月12日水曜日

ババコンの嘆き

快晴とまではいかないが、まずまずの天気、霞がかった花粉日和も何のその、車窓を全開にして、我が住む県東部へドライブ。1年ぶりくらいに通る所もあったりして、なかなか楽しかった。

相当の頻度で県内をちょろちょろする俺であるが、国道、県道沿いの店舗の変遷は凄まじい。コンビニの出店・撤退はここ数年の傾向だが、1年間通らない内に、多くの店が開店しており、それに伴い、当たり前だが閉店されている店も多い。

企業団地が出来ていたり、分譲住宅地が現れたり、道が広がっていたり、種々の変化を流し見しながら温泉へ。

今日行ったのは、立山の山ろくにある重曹泉の温泉だ。この温泉へは2回目だが、だいぶ農道を山に向けて入ったところにあるので、国道を離れてからというものは、以前と変わらぬ田舎の光景を楽しむことができた。

いつも不思議に思っているのだが、山間部農道沿いの昔ながらの民家、中でも窓の枠も木枠を使っているような古風な家の道路沿いの壁にある種々の看板・・・。

「○フク」・・・萬田銀次郎の香りする白と赤の看板。許可を取っているのかわからないが、田舎の山道を中心にかなりの数である。商いになるのだろうか?キリトリ(取立て)は激しいのだろうか? この看板を張るために銀次郎が家主を訪ねたのであろうか? オロナミンCやボンカレーなる看板は昔のよき光景であったが、「○フク」の看板は、なんだかバス停と間違えて困る。田舎にトイチも似合わない。

そして、あれだ。 黒字に白色と黄色の2パターンがあるが、「神はこの世をさばかれる」みたいな、福音をサタニックな色彩で告げるあれだ。聖書からの引用らしき文句もあるのだが、色彩が醸し出す雰囲気は、カルトの香りを感じる。

そして不思議なのだが、これらの看板は、県道、農道、林道沿い民家の納屋の壁に張られていることが多い。車を自ら転がす人たちが少ない高齢者が生息している土地で、どちらかといえば観光客のために整備された車道上の民家に多い。

個人所有の家もしくは納屋の壁に貼るのであるから、当然家主の許可は得ているのであろうが、これらの看板が張られている家に限って、限りなく1人暮らしの香りを感じる。家の佇まいに息吹を感じないのだ。

田舎の道は、本来が車を想定して作られた道ではないので、向き合った家同士の距離もどちらかというと狭い。昔は舗装もなされていなかったのであろうが、全国に多々ある自然を売り物にした観光地への連絡道路となるに従い、舗装される運命にあった。

全国の高齢者居住の割合が高い土地の殆どが、今じゃ車の通行量が多い道路になりつつある。それも数人を乗せた普通車ではなく、観光バスや山間への砂利、土砂採取に向かうダンプなどの大型が通る車道になっている。

そんな土地に限って見かける、サラ金一派のような看板と福音を知らせるはずの邪悪な看板、広告主の商圏調査は徹底しているような気がするが、これらの看板は誰を意識して、誰をターゲットにしたものだろう?少なくとも、地場に生息、いや、居住しておられる高齢者の方々に向けたものではないと思う。

山奥の温泉めがけて車を走らせる時、必ず目にする地元高齢者の日常生活の光景・・・。圧倒的に婆さんが多い。衣装の色彩から着こなしから、顔に刻まれた年輪である皺、歩き方、持ち物、すべてにおいて、遠くから認識できる清いオーラを感じる。

今日もたくさんの、そんな素敵な婆さんを見た。所さんの「ダーツの旅」のような村人である。

俺は道に迷いながら、ひたすら山麓に向けて車を走らせていたのだが、腿から膝までが八の字に、膝から足元までがV字になるような体制で(つまり、下半身ひし形)、ゆっくりと動く物体の後ろ姿を見た。浣腸を決められて、尾骶骨に何かが突き刺さったかのような体制で歩く物体に愛を感じた。時速1キロ未満のスピードで、彼女は道の左側を歩いていた。

この婆さん、後ろ姿がとてもアニマライズされていて、もんぺと頭からかぶった手ぬぐいが、あまりにかわいかったので、俺は婆さんの後ろ姿を見て通り過ぎた後、しばらく車を走らせてから、Uターンした。どうしても婆さんの顔を見たかったのだ。

その間、たった数分の出来事であったが、Uターンをして引き返す俺の目の前には、またもや婆さんの後ろ姿があった。さっきは左手に見えた婆さんの後ろ姿が、今度は右手にあった。何で????

何か忘れ物をして、再び我が家に戻る途中であったのであろう。婆さんは俺達に正面から姿を見せてくれなかった。奥ゆかしい乙女だ。婆さんの中を流れる時間の悠久さを感じて、その佇まいに手を合わせたくなる。

本日2度目の婆さんとのニアミスをした時、右手にはまた邪悪な看板があった。婆さんのうつむき加減の視界には入らないであろうその看板には、「神の裁きを忘れるな」と書いてあった。婆さんがしたであろう忘れ物は何だろう? 裁きがないことを願う。

標高の高い山道に近くなるにつれて、婆さんの本物感が高まり、それに伴い邪悪な福音告知が増えるような気がするのは俺だけだろうか?

道端に座って遠くの山を見つめる婆さん・・・。軒先に干した玉ねぎと大根のことを忘れていて、それら干されまくった野菜が前衛アートになっていることを知らない婆さん・・・。何染めかしらないが、季節を感じさせないファッションに身を包む婆さん・・・。そして、そんな早乙女を包み込む雄大な山々。

彼女達の生態系はどうなっているのだろう? お金なんかを必要としない、現世を超越した強さを感じる。悠久の時間の中、自然への畏怖を抱きながらも自然と戯れ、生かされている乙女達の強さを感じる。

標高が高い山には何か大きな霊験を、その真下で暮らす人たちには、街中では見られない清さと強いオーラを感じる。婆さんに魅せられた日だった。

俺の心の中には、街中以外に根を下ろす婆さんに対する何か異常なほどの憧憬がある。
それを「ババコン」とでも言うのだろうか? 

「ババコン」にとって、憧憬の対象者が住む地区での邪悪な看板が許せない気がする。彼女達には「○フク」も、「福音」もいらない。彼女ら自身が銭を超えた魅力を持つ福音なのだから・・・。 あの看板なんとかならないか? ババコンの嘆きだ。

3 件のコメント:

huredexi さんのコメント...

○フクに関しては、
洗剤一箱と引換に掲出
または勝手に掲出、外されても気にしない
というシステムのはずです。

○フクに限らず、その手の金融関係には多いパターンっすね。

あと電柱にバイ○グラとかね。

ふれでぃ さんのコメント...

名前間違えた。

ふれでぃでした~

管理猿まえけん さんのコメント...

さすが、その筋の人やな。洗剤一個なら、俺の好きなババは、意味もわからず許可しそうだわ。電柱のバイとサラもたいがいですな。宗教看板の出先調べといて!(笑)