2008年3月10日月曜日

キッズのエキス

我が住む県では明日、明後日が県立高校入試。我が塾に来る中3キッズ、27人のうち、高専や県立推薦合格を除いた23人が、明日受験する。今日は学校も半日で終わり、昼過ぎから最終チェックにキッズが集まりだした。

塾を運営する立場としては、県立合格が100%に近いほど、社会的な存在意義は勝ち得ることが出来るが、個人的感慨としては、県立受験に至るまでの、持って生まれた学問的才能、環境、興味などに関わり無く、とにかく明日をしっかりとした大行事として据え、それに向けて個人レベルで邁進した人たちを目の当たりにさせてもらったことで腹いっぱいである。色々大変な1年であったが、今日、最終チェックに励む子達を見ていると、ジーンとくるものがあった。

昨年同僚と開校した我が塾であるが、全職場の塾と比較して、教務レベルでも苦悩の多かった1年であった。前の働いていた塾は、北陸最大の塾であり、それなりに敷居があったのか、ウルトラ基礎クラスの生徒はいなかったのだが、今年度はウルトラダイナマイトがいた。

地区トップの高校に進学するであろう生徒が3割、中堅校が4割、県立合否すれすれが3割といる。学校では札付きのワルレッテルの坊やもいる。

開校するときに同僚と意思統一したことがあった。学校での学力や態度に対する先入観は入れずに、親御さんにお金を払ってもらっているという意識があり、塾内でやる気が見える限りは、入塾を断らないでおこう!というものだ。

片田舎の個人塾という立場上、開校間もない頃に、地元中学で非行児童というレッテルを張られている子も来た。お父様と一緒に来られた時、最初は態度が悪かった。俺はお父様にお伺いを立てた。
「もし、やる気が見えない時や、他の方への迷惑となることがある時は、どついてもよろしいでしょうか?」と・・・。お父様は歓迎の意思を表してくださった。

幸いにして、その子はどつかれる機会がなかった。定期的なカツ入れのデコパチは食らわしたが、他の子の迷惑になることはなかった。すごく、なついてきてくれて、中3生の平均レベルの集中力はなかったが、一生懸命彼なりに取り組んでいた。

開校1年、色々試行錯誤の年であった。今までに遭遇したことがない、日本語レベルで未熟な子達に知識と意思を伝えるために、俺の方が言語レベルの訓練を要した。
前の塾では3種類くらいの教務言語を使い分ければよかったのだが、今年度は5種類くらいの使い分けを意識した。すごく自己鍛錬になった。

色々至らぬ点はあったかもしれないが、唯一誇れることは、この1年、あらゆる学力の子達が混じったクラス構成であるにも関わらず、途中退塾がなく、どの子も出席率が、病欠時の欠席を除いて、限りなく100%に近かったことだ。特に下クラスの子は、熱が出ていて、親が止めていても来た。これは、手前味噌ながら、学校以外に付加価値を要する塾においては、ありがたいことであると同時に、嬉しいことで、立派なことだと思う。

個人的に、合否はどうでもよいと思っている。県立に受かるかどうかなんてことは、とても小さなことだし、長期的に見れば、受かったことがマイナスに作用する子もいれば、受からなかったことがプラスに作用することもある。学歴は人に言うためのものではない。合否関係なく、ふさわしきご縁がそこにあり、それにたどり着くまでの過程とご縁先との関係が、人生のパズルの中で、どう組み合わさっているかを、一時的に確認するためだけの選抜試験だと思っている。

これは、決して塾としての使命を放棄している考えに起因するものではない。
俺が全職場で眺めてきた塾の体質、そして学校教員の体質、その大部分を俺は残念ながら肯定出来なかった。

生徒が合格したら自分たちの手柄であるかのように実績をうたい、不合格になった生徒には、「本人がもう少し頑張ればな~」といった、軽い評価を下す。ある時は主役、ある時は傍観者・・・。ならば存在意義は何だ??

俺はこういった風潮に反感を抱いていた。塾も学校もキッズの大きな進路を前にしては、完全なる黒子だ。生徒が合格したら、「おめでとうございます。これまでの努力には頭が下がります。」であり、感動を頂いたことへの感謝しか頭に浮かばない。

逆に不合格を出してしまった場合、「お金を頂いて、携わらせていただきながら、結果を出せずに申し訳ございません。」と侘び、その後のその子の進路に対して、精一杯の黒子としての姿勢を示すこと、そして、不合格とはいえ、そこに至るまで彼らなりに努力されたことに敬意を表すること、これが俺の素直な対応であった。

お金をもらって、キッズの心意気に毎日触れられる仕事についている自分を幸せだと思った。個人レベルでの価値観や、エゴもないわけではないが、そんなちっぽけなものをキッズに押し付けられるほど、俺は自信家ではない。

ひたすら黒子に徹して、ただただ、その場でいつも心ある言葉だけを吐き続けること、そして、目の前の教務に対してしっかりとした確信とビジョンを持つこと。常に軌道修正を強いられる教材作成であったり、教務ビジョンであったりするが、こちらがしっかりとした目的意識を持って、長期的に思うところがあるならば、そこに間違いはないと思う。

キッズは、こちらの本気度に対しては敏感であり、表層的な部分は問わずに、深層をキャッチする能力に長けている。表層的な部分の仕掛けにこっても、そこに内在するハートがなければ、彼らは敏感に察知する。小手先の仕掛けが衝撃を生み出さないのは、俺の好きな音楽と同じである。

黒子の俺が、ご縁あったキッズのかけがえない生涯に、一時的にではあるにせよ、関わることが出来、日々の糧を得られていることに感謝の念を禁じえない。

明日の入試初日、明後日の2日目、キッズにとって、そこが素晴らしき試練の場であり、苦しき場であり、その一方で終わってしまえば単なる踏み台に過ぎないような、過渡期としての、さりげない日々になってくれればと思う。

受験一発目の教科は「社会」。世相を反映して公民分野の予想は立てやすい。選挙制度や三権分立、憲法に対する出題も予想どおりなされるだろう。覚えた知識を、頭をフル回転させて、しっかりと記してほしい。

家柄も含めて、数々の選抜をくぐりぬけてきたであろう政治家達の集い場、国会。
空転している場合ではない。空転して暇ならば、キッズの選抜会場をこっそり見に行くが良い。お前らのような滑稽な劇を演じるために、彼らは篩いにかけられているのではないことに、早く気付いてほしい。

醜い光景が繰り広げられる大人になるまでの間、キッズの進路に最適なご縁があり、それを大切に受け止める精神状態が彼らに宿ることを願っている。そして、俺も毎日のご縁に感謝して、大人の垢をおとしていきたい。キッズのエキスは宗教よりもサプリメントよりも効果がある。多謝。

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