2008年3月29日土曜日

出尽くした杭は打たれない

俺は特定の球団のファンがずっとあるようでない。どちらかというと、チームというよりは、特定の選手が好きになる方だ。球団自体を愛していたのは、古葉監督時代の広島と、掛布、バースのいた時代の阪神と、清原のいた時代の西武ぐらいだ。それ以外は、ひたすら好きな選手に注目し、特定の球団は追いかけていない。

俺の好きな選手は、思いっきり豪快な選手か、おもいっきりいぶし銀の選手かだ。その両者を兼ね備えたイチローは別格として、やはり好みはこの両者に偏る。

本日、ゴジラこと松井選手が婚約を発表した。同じ北陸人であり、わが住む町には熱狂的なファンが多い。基本的にみんなが松井選手に好感を持っている地域だ。

俺も彼の人となりは素晴らしいと思う。どんな状況でもしっかりインタビューに応じる人間性は、すごいと思うが、野球選手として彼に華を感じるかというと、限りなくゼロに近い。誰が何と言おうと、彼のプレーを見てしびれることはない。清原番長の100分の1の感動も彼からは受けない。大変失礼な意見だが、俺がプロ野球に求めている視点がずれているのだとは思うが、どうもだめだ。

巨人の4番として一時代を作った松井選手だが、彼ほど昔から叩かれないスターは少ないと思う。なんだか、つっこむ素地がないほど、欠点が少ないので、それがなんだか物足りない。出る杭であるはずなのに、打つ気がしないのだ。いい人すぎるのかな?

桑田投手が引退宣言した。俺の好き嫌いからいうと、どう考えても嫌いなタイプに入る選手なのだが、俺は桑田投手がずっと好きだった。彼のピッチングを見ると、呼吸が感じられるというか、毎回惚れ惚れしていた。守りも打撃も本当に上手い。もう見られなくなると思うと残念でならない。

桑田投手、普段着は死ぬほどださい。ファッションセンスがない俺が下すのもどうかと思うが、桑田のファッションセンスは、工藤投手に次いで球界歴代1、2だと思う。高級ブランドなんだろうが、とにかくださく見える。彼らを追うのがゴジラだと思う。なんでやろ?

桑田投手、発言がくさい。鳥肌もののくさいセリフを多々吐く。普通の人間が吐いたら、許せないほどの気持ち悪さを持った言葉が、桑田投手の口から出されると、何だか納得してしまう。やはり積み重ねた人力の大きさが言葉のスケールに追いついているのだろうと思う。

豪快肌の代表格、俺の好きな清原番長と常に比較され、体格面では恵まれない状況を、補うだけの知恵と努力で、プロの世界を歩いてきた桑田選手、そんな氏も、入団当初から滅茶苦茶叩かれてきていた。

投げる不動産王やら借金大王やら、罵詈雑言の嵐で、散々桑田を追い込んだマスコミが、いつの間にやら、彼を賛美する側に回りだした。散々桑田投手を胡散臭い人間の筆頭であるかのように書いていたマスコミが、今では「真澄の人間哲学」といったような美辞麗句を大量に垂れ流ししている。

その局面局面で、特に言い訳もせず、黙々と野球に打ち込んでいた桑田投手の姿・・・。
もう、精神の根幹からが違うような気がする。ほんとすごいと思う。

「出る杭は打たれる」ということわざがある。なんだか人間の限界を暗示しているようなネガティブな言葉で嫌いだ。なによりも、この言葉を生む元となった精神は、「妬み」であると思う。妬みは個人的に抱くものもあれば、マスコミが作り上げた虚像で抱かされるものもあるが、とにかく打たれる杭は多い。妬みなんて感情は、人間の持つ1番汚い感情だと思う。

しかし、それでも負けずに出ることを継続し、出尽くした時、人々の妬みは驚愕に変わる。「出尽くした杭は打たれない。」 なんてポジティブなことわざだろう。もういい加減、「出る杭は打たれる」なんてことわざは捨てて、「出尽くした杭は打たれない」に変えていくべきではないかと思う。

桑田投手ぐらいのスケールになると、誰も凡人が口を挟んで意見を出来る人ではなくなる。好き嫌いを別として、とにかく驚愕の凄まじさを感じてしまう。桑田投手の引退を機に、ことわざの意味を変えて普及させてほしいものだと思う。

松井選手のような、出ても打たれない杭もあれば、桑田選手のように出た瞬間に叩かれる杭もある。同じ杭であるならば、打たれないよりは、打たれた後も出尽くすまで這い上がった杭に美学を感じるのは自然だろう。

俺は杭にはなれない人間だ。出ることもないかわりに打たれない。俺は外部の出た杭を、猥雑なマスコミの論調と同じレベルで打っているタイプの人間かもしれない。

自分のキャパは認めた上でだが、

打つ気にならない杭よりは、打ちたくなって打つが、打っても打っても出てくる杭に対して人間的な敬服を感じてしまう。そして、出てくる杭に対しての俺の敬服が憧憬となり、俺の中に杭を育んでくれるならば、それが俺の成長だろうと思う。

松井選手おめでとうございました。桑田選手お疲れ様でした。

「概観して暢気に評論できる僕は、杭に憧れて杭になれない、あすなろの木のようなものかもしれません。こんな気障な言葉をあなたが言ってくれたら、俺の心は真に澄んだかもしれません>真澄さん。」

昨日までの風邪は今日で回復した。病中のブログではない。澄んだ上で気持ち悪い言葉を羅列したくなったのだ。打てば良い。出るかどうかはわからない。

0 件のコメント: