2008年3月7日金曜日

時効なき懺悔

昨日のブログで、嫁との婚前旅行に触れた。すると俺の中で時効とはいえ、懺悔せずにはおれない思いがつのった。

俺は嫁と付き合っている時に、数回泊り込みの旅行をした。1度は「天橋立~城之崎2泊3日の旅」、そして「九州3泊4日の旅」、そして昨日の「下市温泉1泊2日」の旅だ。それ以外にも温泉宿に泊まった旅行はあるが、この3回が思い出に強く残っている。

このうちの「九州3泊4日の旅」は、1番楽しい思い出でもある一方で、人間ぎりぎり行動の軌跡
であった。 九州旅行の行程は、俺が全て考え、チケット手配も全て俺がした。素敵な旅になるはずだった。

出発は大阪南港からの別府行きフェリーだった。出発の日は2時頃に待ち合わせになっていたのだが、その朝を俺はバイトしていた旅館で迎える。一緒にタコ部屋生活をしていた先輩にも旅行の旨を話し、彼らも俺の旅行を応援してくれていた。

先輩たちは俺に、「彼女との仲を深めるチャンスやで!」と月並みの激励をし、俺に、「思いっきり髪形を変えてイメチェンしていけば?」と悪魔の囁きをしてきた。当時、ジョンレノン見たいな銀縁円形眼鏡をかけていた俺は、髪の毛が浮浪者チックであったので、眼鏡との相性を鑑み、イメチェン機会を相談していたことがあったのだ。そのままでいけば、極左チックな香りがある見た目であり、長髪のガンジーみたいな暴力を非、出来ない外見であった。

彼らは俺の髪型に対して色々考えてくれた。朝の8時に旅館の仕事を終え、俺は彼らの薦めで床屋に行った。

「いいか、前髪を眉毛よりかなり上方、耳元テクノ、後ろにスカシ、こう注文するねんぞ!」と彼らは鬼気迫る形相で俺にアドバイスした。今から思えば、笑いを堪える歯の食いしばりが、彼らの表情を作っていたのであろうが、純真な俺は、ナウい彼らのアドバイスをそのままの口上を、床屋の角刈り親爺に言った。

刈り終わった俺の映像を俺は眼鏡で見ることが出来なかった。手抜きされた漫画のサブキャラみたいな髪型で、明らかに前髪のバランスが悪かった。丸刈りのデコに前髪を無理やり書いたような絵だった。

タコ部屋に戻ると、彼らは俺の頭を眺めながら、「めっちゃいいやんけ!イメチェンやで!最後の仕上げをしたる!」と再び鬼気迫る形相で俺に絡んできた。
鬼の歯の食いしばり方はパワーアップしていた気がする。

金棒ならぬブラシを片手に、彼らは俺の少ない頭髪に、「ギャッツビー」のジェルをがんがんに塗りたくった。バリバリのオールバックだ。さすがに俺は戸惑った。
「これやばいで!」

彼らは言った。「あほ! 思い切ったことせんとイメチェンなるかい! 似合ってるって!」 おまけに鬼気迫る拍手までしやがる。俺はすっかりその気になった。鬼は退治されるべきである。

待ち合わせ時間まで2時間ちょっと、俺は京極界隈を闊歩しては、ショーウインドウに移るピエロの映像を眺め、半信半疑の自信を深めた。疑心の方が少なかった。

待ち合わせ場所に現れた嫁は、俺の顔を見るなり、「どうしたん!」って声をかけやがる。「What’s Up?」ではなく、 「What’s wrong?」のニュアンスを瞬時に嗅ぎ分けた俺は、少し戸惑った。

1日目はフェリー、二等船室での雑魚寝である。落ち着き無く甲板に出歩き、夜の海風を受けながら俺達は写真を撮り合った。当時の俺の写真が手元にあるが、1枚の背景にはゴーストがいる。稲川タッチの写真に写る邪悪な霊は生霊だ。ちゅうか、俺だ。
だまされた! 俺は同僚の悪巧みに気付き、フェリーの便所で頭を洗った。

「ギャッツビー」を取り除いた後の俺の写真は、比較的致死量は低めだ。デコが反射して全てフラッシュとの相性が悪いのが難点だが、ゴーストは去った。

別府に朝方に着き、俺達は有名な地獄めぐり、高原を抜けての湯布院への道をレンタカーで行く行程を立てた。俺は車免許を持っていなかったので、嫁に運転してもらうことになった。

あいにくミッション車しかレンタカー屋になく、嫁は不安を隠せずに、とにかく暴れ馬のような発車で国道に出た。すぐに地獄巡りの一角に出たのだが、その辺りの坂道で信号停車した時、事件は起きた。青に変わって嫁は発車しようとするのだが、車はバックする。そう、坂道発進がヘたれなのだ。後ろの車はじっと堪えて下がってくれたりするが、青信号が再び赤に変わるくらいの時間、嫁はもちゃもちゃしている。

こんな時は男の子の出番だ。免許を持たない俺は、「どけ! お前は助手席乗れ!」と会釈で後続車に愛想を振りまき、運転席を陣取った。

車の回転数をがんがんに上げ、ウイリーしそうな勢いで俺は車を発進し、その後久々の車運転で膝が震え、完全にふぬけになった嫁に代わり、湯布院までの数時間を運転した。立派な犯罪である。しかし、まったくびびりもなく、快適によそ見運転もしていたの僕・・・。

俺はこの時までに、何度も無免許運転をしていた。糞みたいなモラルしかなかった俺は、初めて運転した時から、運転に違和感がなかった。明くんが帰省する時に、彼の軽自動車のキーを預かり、俺は友人を乗せて深夜の琵琶湖に抜ける峠道をドライブしたこともあった。通行止めを知らせる警察の前で、慌ててユーターンし、エンストしたこともある。一歩間違えば、今の俺はムショで償い人生を送っているだろう。同乗していた、最近フリーダムの連れも今頃塀の中だろう。

無免許というものに対する何の違和感も持たずに、普通に車を運転していた当時の俺・・・・。
交通事故で命を落とされた方々の気持ちを慮り、本当に申し訳ない。情けないの一言に尽きる。

本当に、この当時の俺のモラル感、というか浅はかさ、というか、馬鹿さ加減には吐き気がする。幸いにして、世の中の善良な第三者を巻き込むような事態に遭遇しなかったことだけが救いだ。こんなアホに普通の日々をくださった神は、その後の俺に試練の時をお与えになるのだが、今でも犯した罪の返済は終わっていない気がする。

その後、俺の運転で絶景の高原を抜け、湯布院の町並みを観光し、俺達は大分県の耶馬溪に住む俺の祖母さんの家を訪ねた。「親には内緒にしといてくれ!」と言いながら、俺は嫁を祖母さんに紹介した。祖母さんは俺が車を運転していることに違和感を抱いていなかったようだ。クラクションで別れの合図を送り、俺達は数時間で婆宅を後にした。

杵築のひなびた旅館に泊まり、別府に再度戻り、再び船で帰路に着いた。
嫁は寝まくっていたが、俺はほとんど寝ずに、そのまま旅館バイトに向かった。

若人の浅はかな行動を非難する立場にたった俺は、わが身を振り返り、何も言えなくなる。当たり前の規範を守るということ以前に、俺は規範を破っているという意識もなかったような気がする。自分の今の行動がもたらす結果にたいしての想像力もない、まったくもって浅薄で鬼畜たる人間であった。

恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない過去を15年近く経った今、言葉に表し直視した。シャバにいるのが不思議だ・・・。 精神的時効はない。不愉快になった方がいたら申し訳ない。記すより他ないほど、色々精神的懺悔をした今日であった。ふ~。

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