2008年3月21日金曜日

霞・翳み

来週から始まる春期講習と新年度時間割に向けて、ゆっくり予習でもしようかと思っていたのだが、今日は、開校してすぐに、生徒が数名来塾。感心感心!

なかでもこの前受験を終えたばかりの新高1生が来塾したのは、すばらしいと思った。
受験を終えて、今からまだ3年間、高校の荒波があるというのに、なんたる前向きな学生達よ・・・。うるうる。

涙はすぐに乾いた。いや、出なかった。受験終了後すぐに、「感覚鈍らないように、毎日10分でいいから英語に触れるように!」と言っていたことを守っていることには、うるるであったが、完全に自習室内でくつろいでいやがる。

聞くと、「家にいても何していいかわからない。だから来た。」とのこと。そしてプリッツをプリプリ食いやがる。ここは茶店か! 

俺は彼女達に言った。「何もすることないなら旅に出ろ!」 唖然としながら、俺のナイスな髪型を見てニヤニヤしやがる。プリプリ。

もうすぐ嫌でもすぐにスイッチオンにされる中学卒業後のしばしの間、俺はキッズに旅を勧める。記憶が蘇る。

中学校を卒業した俺は、6泊7日の西日本縦断の旅に出た。6泊のうち、4泊が電車内での泊という日程であった。青春18切符をフル活用した。

京都駅1番線から福知山線で内陸を北上し、山陰線の日本海を兵庫ぐらいで南下し、宇高航路で四国に渡り、四国をぐるりと回り、八幡浜から別府へ、そして再び北上し、日本海側を下関から東へ進む。「チャレンジ20000キロ」みたいな名前の国鉄の冊子を持って、ひたすら鈍行を乗り継ぎ、要所要所の駅でスタンプをついては、旅気分を満喫していた。

5泊目、6泊目だけは、公務員であったオヤジにたのんで、公務員共済の宿を、玉造で予約してもらった。宍道湖で有名な玉造だ。

この時撮りまくった写真がタンスのどこかにあるはずだが、鈍行の旅の楽しいこと楽しいこと! 片田舎の無人駅で乗換のため2時間くらい待つこともあったりしたが、全く苦にならなかった。全行程を今でもはっきり覚えている。待合の時間に食べた駅の蕎麦や、八幡浜で入った大衆食堂のいなりずしや、玉造で食べた蜆や、乗り合わせのじいさんからもらった冷凍みかんや・・・、食べ物だけではない。車窓の香りや、地域ごとの風土の醸し出す匂いや、方言や、町並みまでもが今でも脳裏にしっかり焼きついている。

中学卒業後ぐらいの多感な時期に旅をするべきだ。ただし、3月末までは中学生であることをお忘れなく! 不祥事を起こすと高校入学が取り消されることになる。キッズには清く正しく旅をして欲しい。

5泊目の夜、俺は玉造の旅館にチェックインしなければならなかったのだが、出雲周辺で遊びすぎて、列車に乗り遅れた。次の列車で玉造に到着した時には、時刻は21時30分ぐらいであった。夕食の配膳もとっくに終わり、来客を待ちわびる旅館の従業員達の苛立ちもなんのその、玉造駅前から電話して、駅前の酒屋でビールの大瓶を2本買い、旅館に歩いて到着した時は22時を回っていた。

それでも、俺達がキッズであったからであろうか、旅館の方々は優しくしてくださり、料理もおにぎりを中心にサランラップで整えてくださっていた。非常識な俺はそれを当たり前のことにとらえ、大して感謝もせずに、マイペースで風呂に入り、次の日の散策計画を立てた。連泊であるから、近場をしっかり観光したかったのだ。

蒲団をひいてもらい、従業員が寝静まった23時頃、俺は何だか寂しくなった。静寂と闇が、電車に揺られている時には怖くなかったのだが、閑静な宍道湖から派生する小川に面した旅館の佇まいが、俺に郷愁を感じさせた。

くよくよしていても仕方がない。それまでの行程を振り返り、押したスタンプの数々を眺め、俺はビールで酔いながら眠りについた。行動はおっさんである。

朝早く、旅館の従業員による部屋への襲撃があった。蒲団をたたみに来たのだ。今から思えば普通はノックくらいしそうなものだが、俺がキッズだからなめられていたのだろう。
俺は瞬時に目覚め、テーブルの上に置いてあったビールの空き瓶を瞬時に抱えこみ、もぞもぞ窓辺に移動した。そして窓辺の脇のタンスにこっそり空き瓶を置いた。

その場は事なきを得た俺は、朝飯を食い、ビールを浴衣が入っていたタンスに隠し、お出かけした。浴衣収納タンスが毎日整えられることをキッズの俺は知る由がない。

朝方の旅館周辺は綺麗だった。今では見ることができないであろう、春の小川のへりをゆっくり散歩した。どじょっこもふなっこも、たくさんいたのがわかった。急に釣がしたくなった。

昨夜、駅から旅館に向かう道中に、釣り具店があったのを覚えていた俺は、財布を取りに戻り、わき目もふらずに釣具屋に行った。50円の竹を1本と簡易仕掛けと餌を合わせて350円払い、俺はひたすら釣りに明け暮れた。面白いように釣れた。

ふなはもちろん、名前も知らない魚がたくさん釣れたので、俺は嬉しくなって釣れた魚を旅館のおばちゃんにあげた。「食べてみ~! うまいで~。あんまり焼きすぎたらあかんで! 塩加減注意しや!」とおっさんみたいな口調で言ったことを覚えている。

再度ビールを買い込み、旅館に戻った俺は、浴衣に着替えるためにタンスを開けた。
「な・ない!」 完璧に隠したはずの空瓶が無くなっていた。俺は事態を悟った。
夕食の配膳をするおばちゃんが少し意味深な微笑を俺に向ける。「ぼうや~、あんたの未来ないで~!」と心の底で言っている気がした。

俺は買って来たビールの中身を窓から捨て、神様に祈った。「まじめにやりますから、どうか今回のビールの件は許してください!」 そして空き瓶をカバンの奥底にしまった。

神への祈りが通じたのだろうか、翌朝、温泉に入った後、チェックアウトする時には、旅館のおばちゃん連中が全員笑顔で俺を見送ってくれた。「魚美味かったよ~!」という声と共に、俺が釣った魚を魚拓にして、プレゼントまでしてくれた。俺は真人間になろうとこの時、一時的に思った。そして玉造を後にした。玉造温泉の名湯のおかげか、体中がぽかぽかしていた。

もし、あの時旅館のおばちゃんが俺のことを学校に通報していたら、俺は高校浪人するはめになっていただろう。俺は私立高校を受験していなかったので、3月末になって他に進学先はなかったのだ。魚を献上したことがよかったのか?いや、そんな低レベルな話しではない。旅館のおばちゃんがビール瓶を発見する前に神隠しがあったのだろうか?いや、そんな劇的な話しではない。とにかく未来が存続した。

俺は、カバンの底に入っていた大瓶2本を玉造駅ホーム端の小さな木の根元に寝かせて、定時の列車に乗り込み帰路についた。黄砂が降っていた気がする。空は麒麟色。

たくさん釣果があったこと、ビール瓶が消えていたこと、小川周辺での空気が妙に生ぬるかったこと、全てが幻のようだった。鮮明に覚えているこの旅行の行程の中、玉造での2泊だけは、映像としてははっきり残っているのだが、浮遊しているような霞がかかっているような不思議な現実感として今もある。白内障のオヤジが外界を眺めているような映像とでも言えばいいのだろうか?

中学を卒業したてのキッズと話しながら、少しセンチになった1日だった。今日も
霞がかかっていた。翳みではない。

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