2008年3月8日土曜日

達人に思う

Qちゃんこと高橋尚子選手が名古屋マラソンに参加する。別にマラソンマニアというわけではないが、彼女の走りに期待すると同時に、彼女がオリンピックに参加してくれることを願っている1人だ。

他の選手も素晴らしいのだが、彼女の走りに比べると魅了加減で劣る。やはりQちゃんはスターだ。相方の髭オヤジはいなくなったが、それでもQちゃんが参加したら、オヤジも再び映像で浮かんでくるだろう。

Qちゃんを育てたとされる髭監督とQちゃんの師弟愛を垂れ流されたオリンピック映像から長い時間が過ぎた。俺にとって、彼と彼女のふれあいの映像は衝撃的だった。
失礼な話しであるが、見た目ではどう考えても一般受けしそうに無い髭監督とQちゃんが、異性なんて範疇は通り越し、真の師弟愛で結ばれている関係は、微笑ましくもあり、一種の禁断の感もあり、不思議な映像として残っている。

なんか、一種の侠道的な匂いを感じたのだ。実の親御を捨て、盃関係で結ばれた組長をオヤジと呼ぶ関係、893組織だけでなく、サブちゃんとジョージの関係にでも見られる関係の中に俺は一種の求道的な清さと同時に、背徳的な官能的な何かを感じてしまうのだ。

Qちゃんの親御さんが、髭監督に対して抱く感情なんかを他人事ながら心配しながら映像を見ていた気がする。なんだろうな~、あの関係は・・・。

俺が養子になって家を出ることをおかんに告げた時の、おかんの表向きは平然としながらも、なんか空元気だった表情を重ねて、その時の空気の重さも併せて考えてしまうのだ。

Qちゃんの練習報道を見るたびに、その凄まじさを知る。毎日70キロ走るなんて報道を簡単に垂れ流すが、70キロの移動は、働き者近距離営業マンの1日の走行距離をも上回る。かたや車だ。

高校時代の俺は、野球部だった。冬場はボールを持たせてもらえず、ひたすら筋トレだったのだが、練習はじめに1.8キロのコースを毎日10周走らされた。18キロだ。11月末から2月中旬までほぼ毎日走らされた。放課後の練習開始から走り始めて、校庭に戻ってくる頃には、日は暗くなり、他の部活の奴らが帰路につき出していた記憶がある。それから、腹筋・背筋、素振りなど、ひたすら拷問みたいな日々を過ごした。帰宅は20時頃だった。

たった、放課後数時間のトレーニングの一貫としてでも泣きそうな日々であった。18歳未満のキッズの若さをもってしても過酷なトレーニングだった。

Qちゃん35歳。俺と変わらんやんけ!

高校時代の俺は、体育の授業で計測された短距離走の記録は、「ドカベン」並みの鈍足であったが、中距離はなかなかだった。4キロ走の走破タイムの上位者が保健室前に掲示されたのだが、俺は毎回5位以内に入っていた。1学年500人近くの中での5番以内だ。実に素晴らしい。俺の上にいた奴は、陸上部の中・長距離専門の奴とバスケ部の奴だった記憶がある。

こんな俺は今でも人よりは体力があると思っているが、今仮に、1キロをしっかり真面目に走ったとしてもだ、間違いなく俺は吐血すると思う。数年に1回夜のジョギングをすることがあるが、そんな時俺は最後の100メートルを全力疾走する。すると、その後、口の下あたりで血の香りを感じる。吐血は必然だ。

それをだ、Qちゃん35歳でっせ! 走る体力も強靭であるが、過去に国民的スターたる栄光を得たにも関わらず、今もなお肉体を酷使して走ろうとするそのモチベーションたるやいかに?
崇拝の域に達するほどの尊敬の念を禁じえない。

先日行われた「東京マラソン」の参加者は抽選をくぐりぬけた方らしい。走ることに魅せられた人は、俺が思っている以上に多いのであろう。その魅力たるや何だろう?

ウォーキングや登山の魅力は俺も理解できる。歩くことは俺も好きであるし、山道を歩くことも苦にならない。今年の夏は本格的な登山をしようとも思っている。しかし、42.195キロという距離を、俺の100メートル全力疾走とそんなに変わらないタイムで走破できるレベルを目指す、長距離選手の意識というものが、俺には宇宙規模の未知の世界である。

自分の知らない世界はたくさんあるが、それぞれの世界で邁進している種々の世界の達人を俺は素晴らしいと思う。

生涯に自分が打ち込める世界なんて、物理的時間の中では限られてくる。絶対的な時間の壁を前にして、どうしようもない限界を突き詰めて考えると、虚しくて気が狂いそうになる。だがこの感慨こそが、今の自分の縁があったひと時に真剣に向き合うためのモチベーションになっている部分がある。そこに自分なりの価値観を持っていくことが出来るために気持ちが定期的に動くならば、俺は俺を暫定的に達人と呼べると思う。

Qちゃんの出走をリアルタイムでは体感出来ないが、どんな結果でも達人の凄さを夜のニュースで体感したい。

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